ここ最近というか、
今年の10月から11月の今日まで、
昭和時代から活躍している偉人の訃報を
目にする機会が
格段に増えたように感じます。
今回は
その中で
私的に気になった人がいましたので。
関連するニュース記事……というか、
この場合は
訃報というべきなのかなぁ。
それにブックマークを付けました。
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私が物心ついたのが、
だいたい
昭和50年とか51年とかそんな頃でしたから、
この方の現役姿、
土俵で貴ノ花と組み合っているところとか
白黒テレビで観戦した記憶がおぼろげに残っているだけでして。
すぐに思い浮かぶのは
引退後の眼鏡をかけた着流し姿の方。
横綱・千代の富士を育てた親方、
という。
親方時代以降の姿が
ずっとずっと強く印象に残っております。
とくに
平成時代の
NHKの大相撲中継での
歯に衣着せぬ容赦のない解説。
ほめるべきは褒めるけど
ダメな取り組みは
バッサリ切り捨てて。
ぶっきらぼうな物言いで、一切のフォロー無し。
聞いているだけで度肝を抜かれて。
アレには、
なんかワクワクしましたねぇ。
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ここ最近、
見かける機会がすっかり減ったなぁ、
と気になっていたのですが。
病気療養中だったとは……
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謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
元横綱北の富士さんが死去、82歳…幕内優勝10度・舌鋒鋭い解説で人気
大相撲の第52代横綱北の富士で、NHKの大相撲中継では 舌鋒ぜっぽう 鋭い解説で親しまれた北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)さん(本名・竹沢勝昭さん)が死去したことが20日、わかった。82歳だった。関係者が明らかにした。
北海道旭川市出身で、14歳で出羽海部屋に入門。1964年初場所で新入幕を果たし、66年名古屋場所後に大関に昇進した。67年には元横綱千代の山の独立に同行し、九重部屋に移籍。70年初場所後に玉の海と同時に横綱に昇進した。72年初場所の貴ノ花との一番では「つき手」か「かばい手」かの論争を起こし、話題を呼んだ。
10度の幕内優勝を飾り、74年に引退。先代から九重部屋を継承し、千代の富士、北勝海の両横綱を育てた。85年秋場所の千代の富士から87年春場所の北勝海まで、九重部屋による同一部屋10連覇も達成した。
日本相撲協会では広報部長などを歴任し、協会退職後は解説者に転身した。NHKの専属解説者としては歯に衣着せぬ鋭い評論で人気を集め、度々和服姿で中継の解説席に座るなど粋なたたずまいは、多くのファンに支持された。NHKでは昨年春場所から解説の仕事を休んでいたが、今年名古屋場所では録画で出演していた。
元横綱 北の富士勝昭さん 死去 82歳 大相撲中継の解説で人気
大相撲の元横綱で、幕内で10回の優勝を果たし、NHKの大相撲中継の解説者としても長年、活躍した北の富士勝昭さんが、11月12日、病気の療養中だった都内の病院で亡くなりました。82歳でした。
北の富士さんは北海道旭川市出身。昭和32年の1月場所で初土俵を踏むと速攻相撲を持ち味に番付を上げ、昭和45年の初場所後に横綱に昇進して幕内で10回の優勝を果たしました。
引退後は九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育て、定年を前に日本相撲協会を退職して以降はNHKの大相撲中継で、現役力士の取組について時に厳しく、時に温かいことばで解説し人気を博しました。
去年の3月から病気の療養のため、大相撲中継の出演を見送ってきましたが、ことし7月の名古屋場所の初日ではVTRで出演し、元気な姿を見せていました。
関係者によりますと、11月に入って体調を崩し都内の病院で治療を受けていましたが、12日、亡くなりました。82歳でした。
葬儀は近親者だけで20日までに済ませており、後日、お別れの会が開かれる予定だということです。
元横綱の北の富士勝昭さんは北海道旭川市出身。出羽海部屋に入門し昭和32年の1月場所で初土俵を踏みました。スピードのある攻めが最大の持ち味で、昭和41年の名古屋場所のあと大関に昇進し、その翌年には出羽海部屋から当時の九重親方とともに部屋を出て新たに九重部屋に移りました。
ライバル玉の海との優勝争い 千代の富士と北勝海の2横綱育てる
昭和45年の初場所で2場所連続の優勝を果たしたあと横綱に昇進し、同時に昇進したライバルの玉の海と何度も優勝争いを繰り広げて大相撲を盛り上げました。
その翌年、現役中に玉の海が急死したあとも横綱として角界を支え、合わせて10回の優勝を果たしました。
昭和49年の名古屋場所を最後に引退したあとは、九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育て、定年前の平成10年に日本相撲協会を退職しました。
その後は、NHK大相撲中継の解説者を務め率直でユーモアをまじえた語り口で時に厳しく、時に温かく取組を解説し、人気を博しました。
去年3月からは病気の療養のため、大相撲中継への出演を見送っていましたが、ことし7月の名古屋場所ではおよそ1年半ぶりにVTRで出演し、場所の展望を語って、ファンに元気な姿を見せていました。厳しくも温かい解説で親しまれる
北の富士さんはNHKの大相撲中継でのユーモアを交えた語り口や、時に厳しく、時に温かい解説でファンから親しまれました。特に人気を集めたのが解説でコンビを組むことが多かった元小結・舞の海の舞の海秀平さんとの軽妙な掛け合いです。
「3場所連続で三役を務め、あわせて33勝以上」という大関昇進の目安の話題について北の富士さんは、みずからが「28勝」で昇進したこともあって言及を避けることもありました。
しかし、解説で大関昇進の話題になると、舞の海さんからみずからの成績をたびたび引き合いに出され、「そういうことを言ったら絶交だよ」と切り返した場面もありました。
また、令和2年秋場所の千秋楽の取組前には、当時関脇で優勝争いをしていた正代の大関昇進について北の富士さんが「負ければないと思う」という認識を示していました。
しかし、舞の海さんから「勝ち方に説得力がある。私は優勝を逃しても大関昇進でいいと思う」と反論されて「逆らうね」とつぶやくなど、本音をぶつけ合う姿がファンから親しまれました。
取組の解説では元横綱として厳しい視線を土俵に注ぎ、元横綱・稀勢の里に対しては大関時代に「大関らしい相撲を取ろうと思って、本来の攻めが出ていない。でもこれはきのう乗ったタクシーの運転手さんが批評していた」と話すなど、歯にきぬを着せない「辛口の解説」で知られました。
一方、宇良や炎鵬などいわゆる「小兵力士」好きとしても知られ、このうち、宇良に対しては「彼がここにいるだけでおもしろい。相撲が楽しくなる。得がたい存在だ」などとエールを送っていました。
また、元横綱 日馬富士が大関時代に一度待ったをかけて仕切り直し、その後、一方的に突き出された一番では「日馬富士は待ったじゃなくて『しまった』だな」とユーモアを交えるなど、相撲愛にあふれる解説で大相撲人気を支えてきました。