私にとっての大相撲というと。
物心ついたころに相撲を観始めて。
その頃が、ちょうど千代の富士1強時代でした。
それから
ハワイ力士の台頭と、その後の若貴時代。
ここが、
大相撲全盛期、って印象が強くて。
その後、
モンゴル力士大成期へと続くのですけど。
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私の中で、
『横綱』と言われたら、
すぐに思い浮かぶのが……
千代の富士、
若乃花、貴乃花、
(私的には若花田、貴花田の方がしっくりくるんですが
何度も改名してしまったのがねぇぇ)
そして曙です。
武蔵丸は、
すぐに名前が思い出せませんでした(汗
曙と
もう一人ハワイ出身の横綱がいたよなぁ、と。
存在は記憶していたのですが……
名前がすぐに思い出せなかった(泣
もう、
老ボケかなぁ。
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膝を負傷していたり、
糖尿病とか、
他にもいろいろ合併症とか、
内臓とか
持病に関しては
たくさんの噂が流れていましたねぇ。
でもなぁ、
それでも54歳で、というのは早いと感じますねぇ。
ブックマークを付けた記事の中に、
『2017年に体調を崩して闘病生活を始めた』という説明が
ありますけど。
この当時に、
内臓というか体がボロボロで再起は無理だろう、と
言われていたので。
本人は、
相撲の土俵というか、
何かしら関係ある仕事というか、
病を克服して相撲教室をもう一度やりたい、みたいな話をしていましたけど。
これは、
どこで見たんだったかなぁ。
もう何年も前のことだからハッキリと思い出せません。
その記事を見てから7年近く……
7年というのは。
本当に、
頑張ったなぁ。
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謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
大相撲 元横綱 曙太郎さん死去 54歳 外国出身力士史上初の横綱
大相撲で、外国出身力士として史上初めて横綱となった、元曙の曙太郎さんが亡くなりました。54歳でした。
記事後半では、現役時代、しのぎを削ってきた「若貴兄弟」との歴史や、角界などからの追悼のメッセージをお伝えしています。元横綱 曙太郎さん死去 外国出身力士史上初の横綱
元横綱・曙の曙太郎さんは、ハワイ・オアフ島出身。若乃花、貴乃花と同じ昭和63年の春場所で初土俵を踏みました。
身長2メートル3センチ、体重200キロを超える体格と長い腕を生かした突き押し相撲で活躍しました。
そして、大関として臨んだ平成4年の九州場所と続く平成5年の初場所で連続優勝して、外国出身力士としては初めての横綱に昇進し、平成13年の初場所後に引退するまで11回の優勝を果たしました。
引退後は、東関部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたっていましたが平成15年に日本相撲協会を退職し、その後、プロレスなどほかの格闘技に舞台を移して活動しました。
日本相撲協会によりますと、今月上旬、都内の病院で心不全のため、亡くなったということです。54歳でした。
曙さんへ一門から八角理事長「54歳は若すぎる」、元高見盛の東関親方「いつも吹っ飛ばされた」
大相撲で一大ブームとなった「若貴時代」に、兄弟のライバルとして立ちはだかった元横綱曙の曙太郎(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが、54歳で他界した。米・ハワイ州出身で、外国出身力士で初めて角界の頂点を極めた先駆者の死を受け、周囲に悲しみが広がった。
関係者によると、曙さんはプロレスラーとして活動していた2017年に体調を崩し、療養が続いていたという。
同じ高砂一門の先輩でもある日本相撲協会の八角理事長(60)(元横綱北勝海)は曙さんの現役時代を振り返り、「本当に稽古熱心で、稽古場で壁にぶつけられても、何度も何度も『もう一丁お願いします』と向かってきた。だからあそこまで強くなった」と懐かしんだ。曙さんは相撲界から離れて長くたつが、近況を気にかけていたそうで、「それにしても54歳は若すぎる。これからなのに」と早すぎる死を悼んだ。
旧東関部屋の弟弟子で、付け人も務めた経験がある元小結高見盛の東関親方(47)は「あれだけ強くて体の大きな人が亡くなるなんて本当に切ない。稽古をつけてくれて自分を強くしてくれた。重くて、いつも吹っ飛ばされたのが思い出です」と故人に思いをはせた。
ラーム・エマニュエル駐日米大使もX(旧ツイッター)で「他の外国人力士が大相撲で成功するための扉を開きました。第二の故郷となった日本と米国との文化的な結びつきを強化してくださいました」と追悼した。