kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

問題点をすり替えて自己弁護しても何も変わらない

「プリキュアの報道は妥当か」について : アゴラ - ライブドアブログ 「プリキュアの報道は妥当か」について : アゴラ - ライブドアブログ


以前に、ブログ記事の内容について論旨の間違いをアレコレ書いてみたのですが、

>ここまでバカだと、もう死ぬしか方法はないかもね。 http://d.hatena.ne.jp/kg_nogu/20120909#1347196485

その後どうなったのかと思っていたら、
新しい記事が載っていました。
内容は、反省めいた問題点のすり替えと、自己弁護……かな。
ちょっと引用。

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私はあらゆる法規制はできる限りない方が良いと考えています。
「アニメで性犯罪は減る」と思っていますから、変な法規制を掛ければ掛けるほど、性犯罪は増えることになり、コントロールの効く自主規制をすべきと考えています。

しかし、所謂オタクを嫌だと思っている人に、犯罪の報道に対して「データがないから言及(報道)すべきでない」と言いながら、「アニメで性犯罪は減っている」と言ってしまえば「彼らは信頼できない」となってしまいます。
「自主規制などやる気がない」「社会と折り合う気はない」としか見えませんから法規制は避けがたいでしょう。

お互いに科学的なデータはないし、もし、あるとしたら法規制をする側の警察にあります。データがないから「法規制は行われない」ということは残念ながらありません。

放射能のように科学が通じる無機質な相手ではなく、報道も法規制も、社会的な問題であって、科学的な問題ではないのです。

私は(科学的に正しい)言葉遊びをしたかったのではなく、「アニメと性犯罪は全く関係ない」のか、「アニメで性犯罪は減る」のか知りたかった。

もし、「関係ない」なら「関係あると思っている人」をどう納得させるのか?

「アニメで性犯罪は減る」なら(つまり、プリキュアの報道の妥当性にも繋がるが、それは置いておいて)法規制が掛かったら拙いのでどうしたら良いか。という話がしたかった。

■私の感覚で誠に失礼な話ですが……

今回、Twitterで300人ほど交流ができました。

当初は300人もの人と交流することになるとは思っていませんでした。
正直に言うと「性癖・性的嗜好は実行するまでは自由、二次元があるから我慢できている!」というのはよく聞きますが、冗談だと思っていたわけです。もし、そんな人に会えたら「因果関係はあるんだ」と判断しようと考えていました。
「本当に存在するのか知りたい」と思って煽ったのは事実です。

仮に、300人に1人いたとしても0.33%、所謂オタクが1000万人とすれば3万3千人もいるということで、年間50件ほどの犯罪に対して凄い数だと私は思いますが、数十人はいたように思います。IDを取り直して来る人も多かったので、実際の数は分かりませんが少なくとも1人でないことは確かです。
1000万人であるか、300人であるかは大きな問題でもなく、数名以上と出会えるということは、そういう人が到底、無視できない数いるということです。

もちろん、私に返してくれた人達はもの凄く偏っていたのでしょうけれど……。その結果から、今では負の因果関係があると確信しています。
しかし、正確な統計じゃないので「負の因果関係があると思う」と言ってるだけです。

今回は、当事者以外の多くの人が「炎上している」のを見ていました。
「性癖・性的嗜好は実行するまでは自由、二次元があるから我慢できている!」という人が粘着していたことも、オタクじゃない人も見ていました。

それでも「データがないなら関係ない」と主張するのは、科学的言葉遊びとしては正しいです。
逆に、証明は難しいですが、お互いに認めればそれを選定前提として対策をすることができるでしょう。

どちらがお互いにとって良いことでしょうか?

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うーん、韓国みたいな人ですね。
偏見を持つことは、人間として当然だと思いますけど。
それを公にして誰かを傷つける、というのなら。傷ついた相手が、その偏見を公開することの撤回を求めるのも、当然の流れだと思うのですよ。
そのときに偏見であることが、科学的なデータを提示したりして証明されるわけです。
「データがないなら関係ない」と主張するのは、科学的言葉遊びとしては正しいです。」というのは、科学をすべて否定する言葉です。
「聖書を信じるから科学は認めない」と信念を語る人が、科学との妥協点を探るというのなら、
お互い、問題点には触れずに生活するしかないでしょうね。
それなのに、「おまえら科学は捨てろ。聖書を信じろよ」と言われても、話が噛み合いませんよねぇ。
私は、科学の正しさを広めるのみです。聖書は読み物として楽しませていただきます。
追記:
記事を読んでいて気がついた問題点をいくつか指摘すると。
筆者は、「アニメと性犯罪は全く関係ない」「アニメで性犯罪は減る」のか知りたいと書いていますが。
アニメと性犯罪の関係について、まったく関係ない、ということなどありえません(あくまで日本での話ですけど)。
アニメがこれだけ日本中に氾濫して、影響力の強いTVなどのマスメディアでも取り上げられているわけですから。
しかし、そこにある関係は「ニュースは性犯罪と関係するか」「ドラマは性犯罪と関係するか」「雑誌は性犯罪と関係するか」「新聞は性犯罪と関係するか」と同程度でしかありえません。
問題として取り上げるなら「アニメは性犯罪と特別な関係があるか、どうか」でしょう。
次に、「アニメで性犯罪は減る」かどうか知りたいと書かれてますが、
アニメの放映本数と性犯罪の発生件数には相関関係がないことが、前回の記事に反論するコメントの中で指摘されていますので。
すでに答えは出ています。
問題として提起するなら、「性犯罪者の趣味・嗜好に合わせたアニメを視聴させたら、犯罪を抑制することができるのか」でしょう。
前回の記事でも指摘しましたが。
この筆者は自分が何を考えているのか、よく分かっていないようです。
もしくは、これらの問題提起は自己弁護のために使われているにすぎず、とくに意味の無い言葉なのでしょう。