昨日、
『失踪』『行方不明』との
第一報が出て。
その次点で、
家族からは
『自殺かもしれない』と
捜索願いが出た、
とか
いきなりニュースになっていて。
驚いてたのですけど。
その直前まで、
首都ソウルの
『コロナ対策』で
韓国メディアの前に出ずっぱりの状態だったのに。
突然に、
『自殺か!?』みたいな
ニュースが出たわけですから。
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韓国メディアは、
最近、
秘書からセクハラ被害で告発されていた件を
取り上げて。
それが原因で自死を選んだ。
みたいな
主張を拡散しています。
日本のメディアも
だいたい
その手の主張に沿った解説を付けています。
けど、
セクハラで告発されている
この手の
革新系政治家は他にもゴロゴロいたりして。
それらの中には、
すでに
裁判で実刑判決を受けている人もいるのですが。
そちらには、
『自殺した』というような方はいないのですよねぇ。
それと比べると、
『セクハラ』という『軽犯罪』で
告発されただけで、
まだ
裁判も捜査も始まっていない段階で、
『自死』を
選ばなければならないほど
精神的に
追い詰められるだろうか。
と
考えると。
疑問符が付きます。
そんな簡単に
死を選ぶものなのか。
しかも
山奥へ入っていった、
ということは。
発作的、衝動的、
ではなくて。
かなりの準備を進めていた上での
計画性がありますから。
それなりに
熟考した結果
覚悟の上での行動。
って
考えられますし。
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私的には、
むしろ、
つい先日、と言っても、
もう1ヶ月も前の話ですけど、
慰安婦宛ての支援金・寄付金を
横領して
私的流用していた疑いを掛けられて
自殺した
慰安婦支援施設の所長が自殺した、
この件との関連を
疑ってしまいます。
革新系の勢力の中で、
ヤバい金の流れに関わっていた
そういうポジションにいたので。
セクハラ捜査にかこつけて、
韓国の検察から
アレコレ追求されると。
一族郎党全員巻き込んでの
破滅が確実なので。
捜査を受ける前に『口封じ』……だったとか。
そちらの方が気になるのですよねぇ(謎
行方不明者届出されてから7時間ぶりに…朴元淳ソウル市長、北岳山で遺体で発見
韓国の人権弁護士出身の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長がソウル三清閣(サムチョンガク)に近い山の中で10日午前0時20分ごろ、遺体のまま見つかった。朴氏が行方不明だとして家族が届出を出して、警察が捜索に着手してから約7時間ぶりのことだった。警察関係者は「捜索犬が朴氏の遺体を見つけた」とし「遺体をソウル大病院に移送して安置する予定」と明らかにした。
この日午前0時を前後して、ソウル城北区(ソンブクク)韓国家具博物館前の現場指揮本部には朴氏の家族とみられる関係者が到着した。救急車も1台到着した。
警察によると、朴氏の娘が9日午後5時17分ごろ行方不明者届を出した。朴氏の娘はこの届出で「4~5時間前に父が極端な選択を暗示する話を電話でしていた後、連絡が途絶えた」と話した。
午後5時35分から捜索に出た警察は4つの機動隊と3カ所の警察署、消防特殊隊など700人余りの人材とドローン、警察犬などを投じて朴氏の所在を探した。また、ソウル消防本部も警察と共に城北洞の吉祥寺(キルサンサ)一帯、臥龍(ワリョン)公園、国民大入口、八角亭(パルガクチョン)、熊の家などを捜索した。
警察は臥龍公園近隣の防犯カメラで9日午前10時53分に朴氏が移動する最後の姿を確認したと明らかにした。また、朴氏の携帯電話が消えた位置を追跡して臥龍公園から約3キロメートル離れたソウル城北洞のフィンランド大使官邸周辺で信号が切れたことを把握した。
イ・ビョンソク城北署警備課長とチョン・ジンハン城北消防署現場対応団長はこの日午後10時30分ごろ、捜索状況の中間合同会見で「山の内部が深く、捜索に困難を強いられている」とし「できるだけ長く捜索した後、成果がなければ明日午前にヘリコプターを動員して捜索する」と話した。
警察によると、朴氏は午前10時44分ごろ、鍾路区嘉会洞(チョンノグ・カフェドン)にある市長官舎から出て外出した。当時、朴氏は暗めの色のジャンパーと黒いズボン、灰色の靴を履いて黒の帽子にリュックサックを持って外出したことが分かっている。こうした中、朴氏が前日(8日)夜、元秘書から警察にセクハラ告訴を受けたことが確認された。
警察によると、朴氏の元秘書だと明らかにしたAさんから「セクハラ被害を受けた」という告訴状が出された。Aさんは弁護士とともに8日夜に警察署を訪問し、9日未明まで関連の調査を受けたという。中央日報の取材を総合すると、告訴人Aさんは「2017年秘書として働き始めてからセクハラが続いた」と主張した。
朴氏はAさんに身体接触の他に携帯電話メッセンジャー「テレグラム」を通じて個人的な写真を数回送ったという。Aさんは警察に「もっと多くの被害者がいる」とし「朴市長が怖くて誰も申告できなかったが、私が勇気を出した」と明らかにしたと伝えられた。
警察は被害者の調査後、朴氏の召喚日程を調整中だったという。特に、同事件の捜査チームは事案の重大さを勘案して、8日閔カプ龍(ミン・カムリョン)警察庁長官など首脳部に該当事案を緊急報告した。市はこれと関連して「訴えられている事実を確認できなかった」と明らかにした。
朴氏のセクハラが事実だと明らかになった場合、共に民主党は安熙正(アン・ヒジョン)元忠南(チュンナム)知事、呉巨敦(オ・ゴドン)元釜山(プサン)市長に続き、一連のセクハラ告訴で再び事後収拾に追われることになるものとみられる。
これに先立ち、朴氏はこの日午前、すべての日程を取り消した。9日午前に予定されていたソウル市庁フェンシングチーム選手団の合宿所現場を点検する日程が取り消しになった。午後4時40分の金思悅(キム・サヨル)大統領直属国家均衡発展委員会委員長との面談も取り消した。ファン・インシク報道官は「朝、市長の体調が優れず(今日の)日程を取り消すと聞いた」と話した。日程取り消しは市庁出入り記者にも公示されたという。
9日、朴氏のSNSには特異動向は見つからなかったが、カカオトークのアカウントやインスタグラムなどが非公開になっていた。ただし、フェイスブックとツイッターは公開された状態だ。フェイスブック上にある直近の掲示物は8日午前11時、「ソウル版グリーンニューディール」発表関連の内容だ。
朴氏は普段、フェイスブックをソウル市の政策や社会懸案に対する見解を明らかにする手段として活用した。フェイスブックのグリーンニューディール関連文には「帰ってきて」などのコメントがつけられている。朴氏は与党の有力な大統領選挙候補の1人に挙げられていた。1980年第22回司法試験に合格した後、大邱(テグ)地検検事として任用されたが、死刑執行場面を参観できないという理由で6カ月で辞表を出した。
その後、朴氏は人権弁護士として活動して参与連帯の設立に関与し、アルムダウン財団とアルムダウン店を運営しながら韓国市民運動を代表する人物の1人として脚光を浴びた。
朴氏は2011年10月、ソウル市長の補欠選挙を通じて政治に入門した。当時、安哲秀(アン・チョルス)教授と単一化を成し遂げて選挙に参加し、ソウル市長に当選した。その後、3期連続ソウル市長を務めながら歴代最長寿の在任記録を打ち立てた。
朴氏の死亡の便りに市は衝撃を受けた。これに先立ち、市は行政1副市長を中心に4級以上の幹部を全員待機させた。市庁職員の大部分も、退勤時間が過ぎても事務室に残った。
市民運動家を経てソウル市長初3連任の朴元淳氏、最近は大統領選挙見据えた動きも
遺体のまま見つかった韓国の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は、名門大除籍生、人権弁護士、市民運動家などの軌跡を経て初の3連任ソウル市長となった。政界に入ってからは進歩指向の大統領候補として名前が挙げられてきた。
朴氏は1956年、慶尚南道昌寧(キョンサンナムド・チャンニョン)に生まれ、ソウル京畿(キョンギ)高を卒業してソウル大学社会系列に入学したが、維新政権の緊急措置命令9号を違反して除籍となった。その後、檀国(タングク)大学史学科を卒業して第22回司法試験に合格した。大邱(テグ)地検検事で1年ほど働き、弁護士事務室を開いた。
社会運動に飛び込み、参与連帯の事務局長や総選挙市民連帯常任共同執行委員長を歴任し、腐敗政治家落選運動を展開した。2000年にはアルムダウン財団・アルムダウン店などの市民団体を設立して市民運動家としても広く名前が知られるようになった。
呉世勲(オ・セフン)元ソウル市長が無償給食問題で辞任すると、ソウル市長補欠選挙に出馬して羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)当時ハンナラ党候補をおさえ当選した。当時、認知度が高かった安哲秀(アン・チョルス)ソウル大学教授の支持と譲歩で力を得た。2選では鄭夢準(チョン・モンジュン)当時セヌリ党候補、3選では金文洙(キム・ムンス)当時自由韓国党候補をそれぞれおさえて3連任に成功して9年間ソウル市長として市政に従事してきた。2018年には地域均衡発展を試みるため、庶民の生活を知るということで江北区三陽洞(カンブクグ・サミャンドン)で1カ月の屋根部屋生活をしたこともある。
2017年1月、フェイスブックに大統領選挙出馬に意欲を綴ったが、支持率の低さなどの理由で約20日後に撤回した。2018年与党の有力大統領選挙候補として、選好度調査で李洛淵(イ・ナギョン)当時首相、李在明(イ・ジェミョン)京畿道(キョンギド)知事を抜いて1位に入ったこともあるが、汝矣島(ヨイド)・龍山(ヨンサン)広域開発、ソウル交通公社の採用不正問題などで支持率が落ちた後、しばらく停滞が続いていた。
だが、最近朴氏は2022年大統領選挙を視野に入れた活動に力を入れていた。ソウル市の内部的にも大統領選挙挑戦のための「勇退時点」をシナリオ別に分析する文書を作成するほど、朴氏の大統領選挙への挑戦は既成事実化されていた状態だった。6日、民選7期就任2周年記者懇談会では「大統領選挙は自分がしたからといってできるものでもなく、時にはなりたくなくてもすることになる運命的な職責だと考える。次は大統領選挙の話をする機会があるだろう」としながら、大統領選挙に対する熱望を迂回的に表現したりもした。
ソウル鍾路区嘉会洞(チョンノグ・カフェドン)にある市場公館には、最近までほぼ毎日、来客があったという話もある。嘉会洞のある住民は「夕方になるたびに公館に来客があった。10人以上が一斉にやってきて、午前0時を越えて握手をしながら別れる場合も多かった」とし「いつも公館周辺がにぎやかな雰囲気だったが、突然このようなことが起きるとは思ってもみなかった」と話した。
朴氏には薫風も吹いていた。今回の4月総選挙で、朴氏と縁が深い多くの共に民主党候補が金バッチを付けることに成功した。民主党内のいわゆる「朴元淳系統」と呼ばれる現役議員は17人に達する。代表的な人物が尹準炳(ユン・ジュンビョン)元ソウル市行政副市長や奇東旻(キ・ドンミン)・金元二(キム・ウォニ)元ソウル市政務副市長らだ。朴氏は彼らの当選直後、定例会を開き、大統領選挙挑戦のための助言を傾聴したこともある。「大きな仕事をしたくても汝矣島に基盤がない」と言って、私席で物足りなさを吐露してきた朴氏にとっては「友軍」を得たも同然だった。
朴氏は1日付のソウル市定期人事で、政務ラインと副市長団の総入れ替えに踏み切った。大統領選挙に向けた礎石とも目されていた。文美蘭(ムン・ミラン)政務副市長の後任には金宇榮(キム・ウヨン)元恩平(ウンピョン)区庁長を充てた。金宇榮氏は青瓦台(チョンワデ、大統領府)制度改革秘書官や自治発展秘書官を歴任した人物で、選挙戦略に通じていて実行力があるという評価を受けている。