kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

これも時代の流れか ―― 台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」

一昨日の夜には、重体・危篤説が流れていたので。
注目していた方も、
多いのではないでしょうか。
『東・南シナ海の顔役』みたいな方でしたから。
それは、
この悲報に際して、
寄せられたコメントの顔ぶれ、その内容が
物語っています。
まさに
歴史上の偉人。
そんな方に、
拝したこともない、
ニュースでお名前を見るだけの
私が、
お悔やみの言葉を掛けるていいものかどうか……、
たとえ、
こんな場末の殴り書きの中であっても、
色々と考えてしまいます。



しかし、
今、
この時とは。
やはり
巡り合わせなんですかねぇ。
米中対決が
いっそう激しさを増してきた
この状況で。
中国にとっては、
永年の目の上のタンコブ的な存在。
米国にとっては、
頼りになる心強い理解者。
であると同時に、
両大国と
巧みに渡り合い、
その圧力の狭間をすり抜けながら
独立国としての
地位を勝ち取ってきた、
図太い戦士、
孤高の士でもありました。
そんな方が、
今ここで、
戦場から
退場することになるとは。
まさに
『大黒柱』に等しい支えを失った
東・南シナ海は、
果たして
この先、
大きな空隙を抱えたまま。
どうなるのか。



ところで、
中国共産党幹部からも、
何かしら
『追悼』の辞が寄せられる、と思ったのですが。
中国から
敵視されているせよ、
無視する、
ということは。
それはそれで、
相手の存在を認めてしまったのに等しく、
面子に関わってくるので、
その選択はあり得ない、
はずです。
私的には、
何かしら、
中台関係において
米国に痛烈なカウンターを喰らわせるための
中国にとって都合の良い解釈に基づいた、
大国・中国を誇示するのに、
当たり障りのない
追悼の辞を出してくる、
と。
見ているのですけど。
昨日の今日で、
まだ
それらしい物は出ていないようで。
プロパガンダ大好きな
中国が、
この好機を利用せずスルーする、
って決断は
あり得ません。
色々
忙しくて、
もたついているのかな。

 

 

www.sankei.com

 

台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」

 【台北矢板明夫】台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝(り・とうき)元総統が30日午後7時24分(日本時間同8時24分)、入院先の台北栄民総医院で死去した。97歳だった。李氏は今年2月、自宅で牛乳を誤嚥して病院に搬送され、肺浸潤がみられるとして投薬による治療を受けた。その後も入院を続けていた。
 李氏は終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任した。中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し、「台湾民主化の父」と呼ばれた。中国からは「台湾独立派」と批判されたが、流暢な日本語と親日的な言動で、多くの日本人に親しまれてきた。
 李氏は日本統治時代の1923(大正12)年、台北郊外(現新北市)で生まれた。京都帝大農学部農業経済学科に進学し、在学中に出征したが終戦で帰台。台湾大卒業後に研究職に就き、米コーネル大で農業経済学の博士号を取得した。
 台湾農業に関する報告が評価され、総統だった蒋介石の長男、蒋経国に抜擢され、71年に国民党に入党。農業担当の政務委員(無任所大臣に相当)や台北市長などを経て、総統となっていた蒋経国から副総統に指名された。88年1月、蒋経国の死去により総統に昇格した。
 2000年までの12年間の総統在任期間に、憲法を6回改正し、1949年の中台分断以降、改選されていなかった立法院(国会)の全面改選を行うなど民主化を推進。96年の総統選を直接投票とし、自ら初の民選総統に当選した。また、中国全土の統治を前提とした政治体制から、実効支配する台湾に合わせた体制への改編を進めた。李氏が行った教育改革は「台湾人」意識の向上につながった。
 中国は一連の改革を台湾独立の動きとみなし、96年の総統直接選に合わせ弾道ミサイル発射など軍事演習を実施、米国が2個空母打撃群を派遣し「第3次台湾海峡危機」となった。99年に李氏はドイツの放送局の取材で、中台は「特殊な国と国の関係」と発言し、中国側の反発を招いた。
 退任表明後の2000年の総統選では後継候補の擁立問題で党が分裂。民主進歩党民進党)の陳水扁氏が当選し、初の政権交代となった。李氏は責任を問われ国民党籍を剥奪された。
 日本との関係では、01年に心臓手術で訪日する際、ビザの発給が政治問題化した。16年夏までに計8回訪日し、07年には実兄が祭られている靖国神社に参拝。台湾も領有権を主張する尖閣諸島沖縄県石垣市)をめぐっては、台湾内で批判を受けながらも「日本の領土だ」と公言し続けた。
 李氏は、自由と民主主義のために闘う「正論路線」を発展させた言論活動に贈られる「正論大賞」で、令和元年の特別賞に選ばれていた。

 

 

 

 

 

www.bloomberg.co.jp

 

李登輝・元台湾総統が死去、90年代の民主化主導-中国からは敵視

 台湾の李登輝元総統が30日、死去した。97歳だった。多臓器不全などで入院していた台北の病院が発表した。1990年代の民主化移行期に台湾を率い、「民主化の父」と呼ばれた。
 李氏は初の台湾生まれの総統として、有権者の直接投票による議会選挙と総統選挙の実現に寄与した。それまで中国との関係に軸足を置いてきた国民党の政策から距離を置き、内政を重視。台湾独立を志向する政党の政治参加に道を開いた。またそのために、中国からは敵視された。
 1988年に総統に就いた李氏は、96年には台湾初の直接選挙による総統選でも勝利し、総統在任期間は約12年間に及んだ。李氏の進めた民主化が中台関係を損ねると中国は激しく反発し、96年の総統選に向けた準備期に台湾近海でミサイル発射や軍事演習を強行した。
 李氏は99年7月、中国とは「特殊な国と国との関係」にあると述べ、中国側はこれを独立宣言に近い発言だと受け止めた。中国は台湾を自国領土の一部だと主張している。
 「一つの中国」という枠組みを拒否している民主進歩党民進党)の蔡英文現総統は、2016年に李氏の財団でスピーチし、「総統を直接選ぶ権利は台湾の民主化における重要な節目だった」と指摘。「『李登輝時代』は台湾民主化の歴史において極めて特別な意味を持つ」と述べた。蔡総統は30日、フェイスブックに「李氏は静かな革命を通じて台湾を導いた」と投稿し、その功績をたたえた。
 李氏が総統を退いた2000年の総統選で、国民党が民進党に敗れ、台湾初の政権交代が実現した。
 李氏は日本統治時代の1923年1月15日、台北近郊の農村部で生まれた。18歳で京都帝国大学に進学。46年に台湾に戻った。その翌年、中国大陸から渡ってきた国民党の兵士が以前からの台湾住民(本省人)の抗議行動を徹底的に弾圧した「2・28事件」が発生。92年にはこの事件を巡る行政院調査報告が公表され、台湾のトップとして初めて公に事件を認めた。
 李氏は国立台湾大学で農業を学び、68年には米コーネル大学で博士号を取得。71年に国民党に入党、78年には台北市長に指名された。李氏は2007年の来日時、旧日本軍の兵士としてフィリピンで戦死した実兄がまつられている靖国神社を参拝し論争を呼んだ。