kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

いつかのコメ返し ―― 学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由

つい先日、
教育関連の記事に付けたブックマークに
簡単なコメントを載せたら。
それに
はてなスター』と付けてくれた方が
何人かおりまして。
それのお礼をかねて、
ブックマークに付けたコメント内容を
もう少し補足して
詳しく語りたいと思います。



さて、
ブックマークをつけた記事は
学校教育の現状について疑問を投げかけた
記事でして。
現在、
本の学校では整列する際、背の順に並べるのが固定化されているのが、
おかしくないか。
という主張です。
けどまぁ、
この主張、
惰性で習慣化している状況に
問題意識を持つのは素晴らしいのですけど。
論点がずれているんですよね。
そもそも論として、
背の順に並べるのが正しいのかおかしいのか。
それについて考察するのなら、
『なぜ整列させるのか?』
『生徒を整列させる目的とは何か?』
そこからの考察が必要なんですよ。
『背の順』という条件付けが、
目的に合致しているのか否か。
目的に対する手段として適切なのかどうか。
それが
判断の基準になります。



では、
学校や幼稚園で、
生徒を集めるときに
どうして整列させるのか=並べるのか。
極論を言えば、
単に
生徒を集めるだけなら、
並べず、
指示した場所に好き勝手に集まれば、
それで事足りるんです。
わざわざ並べる手間をかける必要はありません。
実際、
諸外国の教育では、
たとえば
アメリカなどでは、
いちいち整列させません。
整列とは、
生徒にとっては強制される指示ですから。
指示を強制させる以上、
それだけの理由が必要になります。
『背の順が差別~云々~』を問題視して語る以前に、
なぜ
教師は生徒を整列を強制するのか。
生徒の行動の自由を制限し、
自主性を奪い、
わざわざ手間をとらせて整列させる。
その正当な理由とは、
という
根本的、根源的な問題があります。



それでは、
教育現場において
生徒を整列させる理由とはなんなのか。
これは
単純明快でして、
『整列させた方が生徒を管理しやすいから』
それにつきます。
教師が生徒を管理する、
其の手間を軽減するための手段。
コレにつきます。
生徒に呼びかけて集めた時に、
生徒がおのおの好き勝手な位置に陣取って、
フラフラと動かれると、
誰がどこにいるのか、
そもそも、
生徒全員が漏れなくきちんと集まっているのか。
確認するのも一苦労します。
『整列』とは、
短時間で間違いなく全員を点呼するために、
最適化された手段なのです。
教師が生徒を管理しやすくするための便法なのです。



とまあ、
ここまで語れば、
整列時に背の順がセオリー化した理由は明白になります。
教育現場において、
どうして背の順に整列させるのか、
それは、
背の順に並べた方が
教師が確認しやすいからです。
大人の場合、
子供よりも高い視点になりますから、
子供の頭を見下ろせます。
それで
正面から見た場合、
背の順に並べていれば、
そのまま頭の数をかぞえて人数を確認できます。
前から見て、
頭数を数えるだけで人数が確認出来るのです。
これが、
順不同だった場合には、
背の高い子のかげに小さな子が隠れてしまって。
いちいち
全員を確認して回らなければ、
全体が把握できません。
見た瞬間に把握出来ない。
もちろん、
見落としのリスクがありますので、
他の確認手段も用いますけど、
『順番通り』綺麗に並んでいた方が、
見落としが発生する可能性が低くなります。
ブックマークを付けた記事では、
名簿順を提唱していますが。
これには一つ大きな問題があって、
生徒の名前、名簿順を知らなければ、
並びが正しいのかどうか判断できません。
つまり、
点呼するのに知識、情報を持っている人間の存在が必要です。
また、
生徒側も名簿順の情報を知っている必要あります。
知らなければ並べません。
『名簿順』という手法は、
そもそも『名簿』という
判りやすく言い換えれば『番号付け』が必須です。
『各自が出席番号を知っている』のが前提条件になります。
出席番号が判らない生徒がいたら、
成り立ちません。
現場は大混乱です。
なので、
例えば
他校の生徒と合同で並べる場合にはどうするのか?
名簿に載っていない参加者がいた場合にはどうなるのか?
次々に条件が発生して、
運用面では問題が多いのです。
特定の条件下でしか実用出来ないんです。
知らない人同士が集まった場合には使えませんし。
ぶっちゃけって言えば
とても使いづらいw
さらに
もっと言えば、
『どうして順番を付ける必要があるのか?』
という素朴な疑問があります。
整列するだけなら、
到着順に並べていけばそれで事足りるんですから。
順番は必要ないんです。
順番とは
実は『整理』しているんです。
規則的に配置し直しているんですね。
では
生徒を整理を必要する意図は何ですか?
それは誰が必要としているのですか?
ここが、
問題の根本なんですよ。



条件によって
コロコロ指示が変わるのは現場に混乱を招くもとになります。
だから、
どんな場合でも
その場で見たまま
シンプルに対応できる、
『背の順』がセオリーとして残ったのは

必然なのです。



とまあ、
背の順がセオリー化した
根本的な理由を語れば、
こんな具合なんですけど。
さすがに
この内容を100字に納めるのは無理だったので。
ブックマークコメントでは
運動面におけるメリットだけ載せました。

 

 

 

 

なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由 一番小さい人と一番大きい人を確定して"序列"を視覚化する罪

そもそも論として『順番=序列』と捉えている思考、論法がおかしい。背の順=体格順に並べるのはそのまま奇数偶数前後でペアを組ませて似た体格同士ですぐに次の運動に移れる、等のメリットがある。運動には合理的。

2022/09/14 03:57

 

なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由

 なぜ、日本の学校では整列する際、背の順に並ぶのか。現役小学校教員の松尾英明さんは「背丈という本人にはどうしようもない身体的特徴を並べて比較し、小さい方から大きい方へと序列をつけて並べる。これは差別であり、いじめの類でもある」という――。
「背の順」は身体的特徴による差別の誇示
学校では、何かにつけて「背の順」で並ぶ。このことに対し、違和感をもつ日本人は少ないのではないか。小学校入学時どころか、幼稚園・保育園児の頃からあまりにも当たり前にやらされることなので、自然にそういうものだと思わされる慣習の一つである。
 冷静に考えて、背の順に並ばせるのは、身体的特徴による差別の誇示である。背丈という本人にはどうしようもない身体的特徴を並べて比較し、小さい方から大きい方へと序列をつけて並べる。一番小さい人と一番大きい人を確定して、誰の目にも明らかなように序列を公表する。
 これが身体的特徴による差別であることは、大人が会社等でこれを強制されないというのを考えればわかる(体重順に並ばせるのも全く同じことである)。明確な差別であり、いじめの類の行為である。
 しかし、慣習というものは、多くの場合それがもつ問題点に全く気付けない。
 それでも「背の順」に納得のいく明確な理由があればいいが、大抵は論理の通らないこじつけにすぎない。実際は、単に慣例として行っていることがほとんどだからである。
 こじつけの一つとして「背の順だと前がよく見える」という俗説が学校ではまかり通っているが、全く出鱈目なウソである。やればわかるが、自分と近い背丈の者が前方にいる時には、目の前の人の頭部しか見えない。眼球は頭部の頭頂部ではなく顔面中央付近に付いているのだから、当然である。
 しかしながら、このようなことは過去何十年にもわたり、問題にすらなっていなかったのである。

避難訓練から保健関係まで、整列は「名簿順」でいい
 ここに大きな誤りと盲点がある。
 背の低い子どもは、周りに比べて自分の背が低いという身体的コンプレックスを抱えている可能性が高い。しかし、背の順に並ぶことが学校で何の疑問もなく当たり前とされているからには、そこに異議を唱えることなど、考えられない。常に列の先頭に立ちながら、自分の背が低いことをそのたびに再認識させられることになる。
背の順に並ばせることに限らず、学校生活におけるあらゆる決め事については、教師の側に大きな権限と責任がある。にもかかわらず、これが問題とされてこなかったことの根本には「人権意識」の欠如がある。「大した問題じゃない」「気にし過ぎ」という意見は、立場の弱い者の視点が明らかに欠けている。
「背の順」を廃止した方がよいもう一つの理由が、先にも書いた通り年間を通しての並び方を単一に固定するためである。並び方が複数あると、特に緊急時に混乱するというのが大きなデメリットである。
 実際、避難訓練から保健関係まで、整列はすべて「名簿順」で事足りる。さらに、避難時には名簿順で年間固定されている方が混乱することなく素早く並べて、避難後にも名簿で確認できるため「○○さんがいない」事態を圧倒的に把握しやすく、合理的である。これが会議等で並び方を単一化したいという提案をする際に、一番に挙げる理由である。学校においては、人権という視点以上に、安全上の問題という方が重要事項として扱ってもらいやすいからである。
 たぶん、炎天下でも全員が外に整列して立ったまま朝礼台からの話を聞く「全校朝会」では、台上から全員の顔がよく見える背の順での都合が多少なりともよかったのである。それくらいしか「背の順」が適当な理由が思い当たらない。
自衛隊では背の高い者が最前方に並ぶ方式
ちなみに実際、背の順の原型は軍隊にあるが、これは背の高い者が最前方に並ぶ方式である。その方が前の台に立つ上官から見て、見栄えがいいという理由を自衛官の方から直接聞いたことがある。かつての、「気を付け!」「前へ~、ならえ!」の号令とともに全員が直立不動で話を聞き続けなければならない全校朝会の風景と、ぴたりと重なるものがある。
 それでも「並び方を単一に固定するなら、逆に背の順一択でもいいじゃないか」という声が聞こえそうである。しかし、そうはいかず、身体計測のように名簿の番号順に並ぶ機会が実際にかなりある。そして何より、背の順の最大の欠点は成長の過程で順序が変動することで、混乱が生じるという点である。特に緊急避難時などの頭が混乱しやすい時には、年間通して同じ順番の方がとっさに動きやすく合理的である。
 また順序が変動するという要素は、自分の方が相手より大きいとか小さいとかいう比較からの無駄な序列争いにもつながる。
 これらのことをまとめて考えると、背の順をやめることは、子どもの主体性向上につながる。なぜならば、無思考に不条理に従うという悪習を脱し、人権について真剣に考え、見直すきっかけとなるからである。
 さらに、教師の仕事量の軽減にもつながる。年度の途中でいちいち比較と並び替えをしなくて済む上に、余計なトラブルへの指導も減るのだから、一石二鳥以上の大きなメリットである。
 こういった大事なことは、全校で確認すべきことである。前任校では、校長に確認し、職員会議でも話題に挙げて「確かに必要ない」と言われてから、完全に背の順をやめた。必要ない、むしろ害悪が大きいという共通認識をもつ必要のある慣習の一つである。
 これを読んで納得された方は、早速ぜひ自校でもトライをしていただきたい。それによって救われる子どもが大量に出ること請け合いである。