昨日、
唐突に出てきた訃報です。
2017年に脳梗塞で倒れられてから、
表舞台で芸を披露する機会がめっきり減って。
一ファンとして
一抹の寂しさを感じていたところへ。
これは何というか……
言葉がありません。
昭和、平成の上方落語を支えてきた、
というか
上に
桂米朝師匠が居て。
その下に
この方と、
兄弟子の桂枝雀名人が中心にどっしりと据わっていて。
いまの上方落語のスタイルを作り上げて一時代を築いた
大黒柱のような方でした。
それで
この方の周りで、
鶴瓶とか、
文枝(前・三枝)とか、
好き勝手に自由にのびのびと動き回って。
上方落語の
あの独特の雰囲気というか。
空気が作り出されていたんですよねぇ……
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この方が居なくなったら、
この先
どうなっちゃうのかなぁ。
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謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
上方落語家・桂ざこばさん死去、76歳…米団治さん「お兄さんの教えを受け継いでまいります」
上方落語界の重鎮でタレントとしても活躍した落語家の桂ざこば(かつら・ざこば、本名・関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日、ぜんそくのため大阪府吹田市の自宅で亡くなった。76歳だった。告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。
大阪市出身。1963年、桂米朝に入門し、朝丸を名乗った。75年に始まった日本テレビ系のワイドショー「テレビ三面記事 ウィークエンダー」にリポーターとして出演し、歯に 衣きぬ 着せぬ物言いと 愛嬌あいきょう のあるキャラクターで人気を集めた。
タレント活動の一方、兄弟子の桂枝雀と「兄弟会」を始め、精力的に高座に上がった。88年には二代目ざこばを襲名。人情 噺ばなし 「子は 鎹かすがい 」「 笠碁かさご 」などを時に涙ぐみながら演じ、上方落語界を支えた。92年、2003年に上方お笑い大賞、16年度に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
08年には大阪市西成区のマンションに寄席小屋「動楽亭」を開設。自ら席亭となり、落語の普及や若手の育成に尽力した。弟子には桂 塩鯛しおだい さん、枝雀の長男桂りょうばさんらがいる。
17年に脳 梗塞こうそく で入院。2か月後に舞台復帰したものの、21年以降はせきや息切れの症状で休演することがあった。今年2月に兵庫県宝塚市内で開かれた寄席が最後の高座となった。
桂米朝の長男で落語家の桂米団治さんは「私が幼稚園に通い出した時に入門されたのが、ざこば兄さんでした。噺家になってからも、私の考え方がおかしいと思われた時は容赦なく叱ってくださいました。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります」としのんだ。