kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

よくわからないけども大事なことなのだろう――【寄稿】前に進まない韓日文化交流

久々に、朝鮮日報日本語版の記事をブックマーク。
韓国政府の広報紙としての地位を確立しているこのメディア、
たまに、なにを言いたいのか良く判らない記事が掲載されることがあります。
今回取り上げるのも、その類の記事なのですけども。
実は、この手の記事が後々読み返してみると、
何かのターニングポイントになっていた……って事が、私の経験では、ちょこっと印象に残っていたりしますので。
今回も何かあるのかなぁ……と勘ぐってみたりしてます。
でも、
何を言いたいのか、良く判らないのだけどね。
書いてある内容は、特段おかしな事をかいていあるのではないです。
淡々と、事実を羅列しているだけで。
その事実から受けた筆者の印象が並んでいて。
……で、結局なんなの? ってところがないのですけども。
いや、書いてあるのかもしれません。
でも、一日本人の私にそれを読み取る能力がないだけなのかも。
一生懸命、日韓文化交流のために尽力してきたのに、韓国人は全然理解してくれないし、興味も持ってくれないので残念だ、と。
そういう嘆きを書き記したかったのかなぁ……


Chosun Online | 朝鮮日報 【寄稿】前に進まない韓日文化交流 Chosun Online | 朝鮮日報

記事入力 : 2015/10/18 05:08


 今年は光復(日本による植民地支配からの開放)から70年であると同時に、韓国と日本が国交を正常化してから50年となる節目の年だ。しかし韓国では今年の前半、中東呼吸器症候群(MERS)が流行した影響で、予定されていた各国との交流イベントの多くが取りやめとなった。その上日本との関係が悪化したことで、国交正常化50年を祝う文化交流イベントも多くが中止になってしまった。
 今年の春に京畿道博物館長としての2年の任期を終え、39年と2カ月にわたる国公立博物館での仕事から退職した。10年過ぎれば山も川もその姿が変わるといわれるが、その4倍もの期間に、博物館という狭い世界の中でも数々の変化が見られた。まず韓国国内の国立博物館が4カ所から13カ所に増え、国立中央博物館が3回にわたり移転した。さらにその間、韓国と日本の主な博物館の間で双方の展示品を紹介する展示会が何度も行われた。とりわけ1986年に国立中央博物館の日本室がオープンした時は、日本の国立博物館から全面的な支援を受けることができた。
 韓日文化交流の根の深さを実感したのは、1976年に開催された「韓国美術5000年展」の時だった。この展示会では韓国の展示品が日本の東京、京都、福岡など各地で紹介され、その反応も非常に良かった。とりわけ展示品が韓国に戻る直前に開催された「韓国美術5000年帰国展」は、当時まだ新米の学芸員だった私にとって喜びと感動の連続だった。しかしこの展示会がなぜ日本でしか開かれなかったのかまでは考えが及ばなかった。後にそれを知ったのは、日本の国立博物館の招待を受けて日本に行った2012年秋のことだった。
 「韓国美術5000年展」は韓日国交正常化10周年を記念するために企画されたものであることを、その時に初めて知った。本来なら慣例に従って両国の博物館展示品を互いに相手国で展示するはずだったが、韓国側の事情で日本の展示品が韓国で紹介されることはなかった。しかしそれから26年が過ぎた2002年、韓国でも日本の文化財が本格的に紹介されるようになった。韓日共催サッカー・ワールドカップが開催されたこの年、日本では「韓国名宝展」が、韓国では「日本美術名品展」が同時に開催された。しかし韓国で日本の貴重な美術品が数多く見られるめったにない機会だったにもかかわらず、来訪客は意外と少なく、その点は非常に残念だった。
 国交正常化50年に向け、両国の博物館は「大百済特別展(仮称)」の準備で互いに協力を続けてきた。九州の2カ所の国立博物館からソウルの国立中央博物館へと巡回する大規模展示会も企画されたが、さまざまな理由で結局は開催に至らなかった。非常に残念だ。最終的には今年の初め、九州国立博物館で日本国内に残る百済ゆかりの品々を展示する、いわば縮小された形の「古代日本と百済の交流」が開催されただけで終わった。


イ・ウォンボク文化財委員

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