なんというかね。
九州の大地震で、熊本にメディアが大挙して押しかけて、
色々と物議を醸した事件を乱発して、
世間に批判を浴びたりしました。ついこの前までの話ですけども。
そこで、こんな意見も出てます。
なんというか「判ってないなぁ」と。
やっぱりマスコミ、というか。メディア人は世間と感覚がズレてるのかな。と。
【今週の注目記事】「震災非常時は視聴率休止」提言の真意−“給油割り込み”から透けて見えるメディアの報道姿勢(1/3ページ) - 産経WEST
熊本地震から10日あまり。被災地の皆さんはいまだ不安な日々を過ごされていることと思います。謹んでお見舞いを申し上げます。テレビ各局も各地から応援部隊を投入した震災報道態勢にシフトしました。今回はそうした震災をめぐる報道について触れたいと思います。(豊田昌継)
抜いた、抜かれた…「視聴率」が報道合戦を過熱させる
発生から数日後、小欄でもおなじみ同志社女子大学・影山貴彦教授(メディアエンターテインメント論、元民放プロデューサー)が、テレビ報道に関し〈緊急事態の今だけは「視聴率調査」を休止すべき〉という提言をSNS、ネット上で公開しました。
〈視聴率調査を休止させることで、各局は冷静な取材ができる。他局同士が系列を越えて協力し合い行動できる。過熱報道合戦に違和感を持つ人が、とても多い。横並びの局で「飛び切りの映像で抜いた、抜かれた」と騒ぐのは「内輪」だけ。取材現場の記者の苦労は十分わかっているつもりだが、視聴者が報道機関に求めているのは、もっと別のことだ〉
要約すると、こんな感じでしょうか。ぜひ検索して全文をお読み下さい。ちょうどその時、僕は震災特番と通常番組との視聴率動向を見比べていたところ。提言内容には賛同しつつも、「休止はちょっと大げさではないですか(笑)」と軽い気持ちで教授にメールを送りました。
現実味を帯びてきた提言
ところが、このやり取りの数時間後でした。関西テレビ(大阪市)の中継車による“給油横入り”が明るみに出ました。熊本県菊陽町のガソリンスタンドで車列に割り込み、先に給油を行ったというのです。その瞬間、皆さんと同じような怒りとともに、メディア人として情けなさや歯がゆさなど、さまざまな感情がわき起こりました。
しかも、系列である仙台放送の関連会社社員が関テレの横入りを擁護するウソのツイートをしていたことも判明。もう愕然(がくぜん)としました。とともに、過激かと思われた影山教授の「視聴率調査休止」の提言が、僕の中でも現実味を帯びてきたのです。そこで、さっそく連絡を取りました。
実は影山教授、4月から関テレの自局批評番組「カンテレ通信」のコメンテーターに就任したばかり。横入りの件は、5月放送分で「直接思いを伝えたい」とのことで、そちらに注目したいと思います。そのうえで、こんなふうに口火を切られました。
「伝えなければ」の思いはわかるが…
「私はエンタメ系番組に関わってきた人間だから思い切って言えるのかもしれませんが、いま現地を駆け回る報道陣の『伝えなければ』という純粋な思いは分かります。でも、その裏で『あの局は良かった』『取りこぼした』と外部から批評される。デスクからいろいろ言われる。つまり、視聴率という名の重しがあるんです。もちろん、それを休止してすべてが解決するとは思いませんが、少なくとも本来のジャーナリズム精神を取り戻せるとは思っています」
僕も阪神・淡路などで経験しましたが、通常では考えられない場所へ足を踏み入れるわけですから、冷静な判断ができなくなることも時にはあるでしょう。当時、深入りしてしまった神戸市内の被災者との間に生まれた苦い思い出を今も引きずっています。
この問題については、以前にも少し書き殴りましたけども。
視聴率調査なんて、結局、問題の小手先の話なわけで。
被災地映像をスポンサーに売り飛ばして、広告料なり、番組料なり受け取っているかぎり、
どうやったって「売り上げ」つまり、番組なり紙面なりの評判、
「どれだけ見て貰えたか」という評価から切り離して自由になることはできない。
本当に自由になりたいなら、
震災報道では、広告代いただきません、番組料金いただきません、スポット広告も料金いただきません。
と、完全に商売とは切り離すべき。
これ自体、不可能ではない。やってやれない事はない話。金受け取らなければいいだけなんだから。
視聴率調査の停止なんて、単なる視聴者に対する言い訳にすぎない。
この問題の本質は、実に簡単な話で、
視聴者は、
『マスコミは震災報道で金儲けするのをヤメロ』と言っているわけで。
これにて対して、マスコミが
『これは金儲けではありません。○○のためです』と、
大義名分をきちんと掲げればいいだけ。
なのにマスコミが勘違いしているのが、
『報道の必要性は大義名分になる』ってこと。なりませんから。
視聴者は全チャンネル見る選択肢を持っているわけで、
たとえば
テレビのキー全局が被災地の同じような場所を、4回も5回も同時期に取材して、
似たようなコメントとるとか。それって何の意味があるんだ?
と疑問を惹起するだけなんですよね。
視聴者の側からすると、2、3局も報道してくれれば十分なわけで。
なぜ、全局が一斉に現地入りする必要があるのか、結局、自局の金儲けのためだろ、
としか見えないわけです。
もっとはっきり言えば、
今のマスコミは視聴者が『見たい』と思っている震災報道ができていない。
だから叩かれている。
これが問題の原因と結果です。
視聴者が欲している情報を提供している番組や、スタッフを叩く視聴者はいませんよ。
視聴者にとって必要な情報が提供されていれば、
必ずその番組なりスタッフを擁護します。
ところが、
実際には、震災報道はほとんど横並びで似たような映像、写真、記事ばかりなわけです。
視聴者というか、受け手側としては、
なぜ同じ物を幾つも出してくるのか、その意味が理解できないし。
そこに必要性を感じられないのですね。
だから、
マスコミの活動は不必要と判断して叩いているわけです。
マスコミからしたら、
目を背けたい苦い真実でしょうけども。
ここから目を背けている限り、これからさらに叩かれるだけでしょう。
ちなみに、
私がテレビ局のプロデューサーなら、
まず、局の震災報道は一本化します。
朝、昼、夜、すべて同じ取材チームでの縦断したレポートにして、
その上で、
震災発生直後に、メールなりFAXなりで、
視聴者から取材してほしい地域、内容を受け付けます。
「あなたの目と耳の代わりになって現地に行ってきます」とか謳って。
もちろん、すべての要望を満たすことはできませんし、
移動の都合上、順番に地域を回る事になる、その事は繰り返しテロップやMCに説明させます。
その上で、
何時のどの番組では、どの地域を取材するのか、
全ての番組で、当面の取材スケジュールを繰り返し、公表します。
こうしておけば、
知りたい地域の情報が、どの時間の番組で見れるか、視聴者はチェックできて、
自分で視聴スケジュールを決めて、
欲しい震災情報を番組から手に入れることが可能になる……と考えて。
番組を見てくれるでしょう。
同時に、
テレビ側も何を撮すのか、いちいち悩まず、とにかく現地に行って、状況を伝えれば、それで視聴者の要望に応えることができるわけですから。
目的が明確化されて、取材に集中できるわけです。
わざわざ、感情的なコメント拾う必要もありません。
ただ、視聴者の要望にあわせて、順繰り現地を移動して伝えればいいだけです。
それに
現地の人にあれこれ言われても、
「あなた達のこと見てきて欲しい、この場所を見てきて欲しい。という要望がテレビ局にたくさん届けられた。だから見に来た」と応えれば、
現地の人だって、悪い気はしないですよ。
コメントは、時間の都合で全部報道できないかもしれません。
テロップです流すだけにするとか、
いろいろ、
工夫も必要になると思います。
それに、移動だってスケジュールどおりにはいかない事だって、
頻繁に発生するでしょう。
道路、通れない。
燃料補給できない。
交通機関、使えない。とかとか。
でも、それすら貴重な現地の情報な訳で。
どうして取材地を変更したのか、その理由を克明に明らかにすることで、
視聴者は、現地を移動する困難さを追体験することができます。
これなら今よりも、もっと
視聴者の要望に応えることが出来るはずです。
そのくらいのこと、
ちょっと頭を使えば
出来ると思うのですけどね。
その一方で、
二度目の地震が発生したり、刻々と変わる状況に瞬時に対応することは難しくなりますが。
そこは視聴者に割り切って貰うしかありません。
いま移動しているカメラ以外の場所は、
他の局の番組で見てもらう。
そういう割り切りが、テレビで出来るのかどうか。
できなければ、
テレビ局は横並びで滅びるだけでしょうね。
この問題について
前にちょっと書いた記事
>多分、企業としての寿命なのだろうヨ――【熊本地震】生放送中に「見せ物でない」と怒号、TBSが中継を断念
>http://d.hatena.ne.jp/kg_nogu/20160424#1461429721