kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

サクッといきませんww ―― 自民党総裁選告示 所見発表

とりあえず
記録代わりのブックマーク。
の続き。
というか、
本当は一つのスレッドにまとめてしまえば
良かったのだけど。
内容が、
かなり長くなってしまうので。
2つに分割。



時系列的には、
こちらが先になるべきもの。
だったのだけど。

 

 

 自民党総裁選に立候補した石破茂元幹事長、菅義偉官房長官岸田文雄政調会長が8日午後の所見発表演説会で述べた内容の詳報は以下の通り。

石破茂
 この度の総裁選に立候補するにあたり、所見の一端を申し述べます。冒頭、今回の台風で被災をされました方、命を亡くされました方、そして東日本大震災をはじめ、いまなお苦難の中にあられる方々、復興・復旧に当たっておられる多くの皆さま方に心からお見舞いを申し上げ、敬意を表する次第であります。
 私はずっと政治とは何か、自民党とは何か、政治家とは何かを考えてまいりました。もう今から35年も前のことになります。昭和60年夏のことであります。(元副総理の)渡辺美智雄先生の政策集団の研修会が箱根でございました。当時私は27歳であったと思います。自分で車を運転して箱根まで参りました。
 1時間半にわたる渡辺先生のお話を聞きました。「お前たちは何のために政治家を志すのか。『先生、先生』と呼ばれたいのか。ポストが欲しいのか。良い勲章がもらいたいのか。カネが欲しいのか。そのようなやつは政治家になってはならない。よく聞け。政治家の仕事というのはたった一つなのだ。勇気と真心を持って真実を語る。それだけが政治家の仕事なのだ」。
 私はあまりに感動したので、そのときのテープをいただいて議員になるまでの1年余り、ずっと車のテープを聞き続けました。真実は自分で見つけなければならない。たとえ耳に痛くても、受けなくても、それを語る勇気を持たなければならない。そして分かってもらえる、分かっていただける真心を持たねばならない。
 議員になって34年余り。いまなお、そうなることができない自分を心から恥ずるものでありますが、そうありたい、今もそう思っております。
 自由民主党とは何か。われわれは3年3カ月、下野にありました。300あった衆院議席は119になりました。東日本大震災政調会長だった私は、お願いして宮城県女川(おながわ)の避難所に一晩泊まりました。多くの声をいただきました。
 われわれは陳情するのが仕事じゃない。復興庁のようなものを作ってくれ。多くの声をいただいたことをよく覚えております。そのときほど、わが党が政権にないことの申し訳なさ、心から思ったことでございました。
 私たちは新綱領を作りました。自由民主党はかくあるべし。谷垣(禎一)総裁のもと、徹底的な議論を行い、自由民主党かくあるべし、新綱領を作ったのであります。自由民主党は、勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語る政党でなければならない。自由民主党はあらゆる組織と協議する政党でなければならない。自由民主党は国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる、そういう政党でなければならない。
 自由民主党の政府は、政策を、条件を、あらゆる人に公平にするものでなければならない。新綱領を掲げ、われわれは安倍(晋三)総裁のもと一致して戦い、政権を奪還し、今日があります。自由闊達に真実を語る政党。あらゆる組織と協議する政党。政府を謙虚に機能させる政党。そして全ての人に公平な条件をつくり、政策を作る。自由民主党は常にそういう政党であるかどうか、胸に問いかけていきたい。そういうように考えております。
 時代認識について申し上げます。「100年に一度」という言葉がよく使われます。100年前に何があったか。1914年から18年まで第1次世界大戦でありました。世界で1億人の人が命を落としたといわれるスペイン風邪。1918年から1920年まで、世界で大流行いたしました。
 1929年大恐慌。1939年から45年まで第2次世界大戦。それが100年前の出来事であります。われわれは戦争を絶対に起こしてはならない。ウイルスで大勢の人たちが命を落とすような、そのようなことがあってはならない。経済が破壊されるようなことは絶対にふさがねばならない。そういう認識でおります。
 令和の政治を語るときに、平成とは何であったか。そのことに思いをいたさなければなりません。3つのものが終わったか、もしくは大きく変わったのが、平成の30年でありました。
 戦後が終わった。かつて(元首相の)田中角栄先生は「あの戦争に行ったやつがこの国の中心にいる間は日本は大丈夫だ。そうでなくなったときが怖い。だからこそ、よく勉強してもらわねばならない」。一兵卒として日中戦争に従軍された田中角栄先生は、生前、そう語っておられました。
 私は猪瀬直樹さんの「昭和16年夏の敗戦 日本人はなぜ戦争したか」。それを読むように多くの皆さま方にお願いをいたしております。昭和16年夏。20年ではありません。帝国政府は総力戦研究所を設立をし、陸軍、海軍、あらゆる官庁、日本銀行、同盟通信、30代の俊英を集めて、もし戦争したらどうなるか、徹底的な討議を行いました。
 全てのデータは開示をされた。国力の差、経済力8倍、鉄鋼生産量は12倍、自動車の生産台数に至っては100倍違う。全てのデータは開示をされました。出た結論。昭和16年の夏。「何があってもこの戦争だけはしてはならない」。そういう結論が出ましたが、なぜ戦争になったのか、ということであります。
国民には正確なデータが知らされていなかった。メディアは戦争をあおった。そして権力とメディアが癒着をした、さらには、そういうことをすれば予算が削られる、そう恐れた軍部もあった。反軍演説をした但馬の代議士、斎藤隆夫(は)、衆院議員を除名になった。反対した者はわずか7名であった。
 それぞれが保身に走り、個の利益、全体の利益を優先したとき、国は悲劇の道を歩む。そのようなことを決して繰り返してはならない。戦後は終わったということを、私たちはもう一度心に刻まなければなりません。
 民主主義。終わったとは言わないが、大きく変質を遂げた。それが平成だったと思う。大勢の人が参加をしなければ民主主義は成り立たない。正しい情報が有権者に与えられなければ、民主主義は機能しない。少数意見が尊重されなければ、民主主義は機能しない。私たちは民主主義がきちんと機能するように、大勢の人が参加できること、正しい情報が与えられること、少数意見が尊重されること、民主主義を守っていかねばなりません。
 資本主義。大きく変質を遂げたと思っております。株価は上がった。有効求人倍率が全ての都道府県で1を超えた。企業は空前の利益を上げた。素晴らしいことであります。しかし他方、格差が拡大をしてはいないだろうか。一部の人だけに利益が及んでいないだろうか。東京一極集中が進み、集中の利益が毀損(きそん)されてはいないだろうか。
 新しい資本主義というものを考えていかねばなりません。地方であり、農林水産業であり、女性であり、サービス業であり、その持てる力を最大限に引き出していかねばなりません。
 21世紀を端的に申し上げますが、世界の人口が倍になる。日本の人口が半分になる。それが21世紀であります。少子化は進み、高齢化は進み、あと20年で、介護にかかるお金2・4倍、医療に関わるから1・7倍、この経済を維持していかなければ、日本の福祉、幸せを維持していくことはできない。
 私は、企業は株主だけのものではない。経営者だけのものではない。従業員であり、家族であり、地域社会のためであり、新しい公益資本主義、これを世界に先駆けて日本は広めていかなければならないと思っております。
 利潤だけを目的とするのではない。日本各地でいろんな取り組みが始まっている。循環型、そして里山の資源。それを最大限に生かしたサブシステムとしての里山資本主義、それを日本から確立をしていきたい。そのように考えております。
 消費性向の高い、所得の低い方々、年収350万、地方で、中小企業で、サービス業で、一生懸命働いておられる方々、そういう方々の雇用と所得、これを増やしていかなければなりません。潜在力を最大限に引き出し、GDP(国内総生産)を維持し引き上げ、「生きていてよかった」「日本に暮らしてよかった」、そう思っていただける方を増やしていきたい。以上が私の歴史認識であります。
 これから総裁選を通じて、各論について、各候補が議論をいたします。どうぞ皆さん聞いてください。国民の皆さま、お聞きください。各論について幾つか申し上げます。
コロナ対策であります。私は「感染者は増加をしているが、重症者は増加をしていないので、医療現場は逼迫(ひっぱく)していない」、そういう認識には立っておりません。医療現場がどれほど困難な中にあるか。コロナに対応する医療関係者、2倍、3倍のストレスを抱えています。収益は悪化をしています。その中で歯を食いしばって命がけで戦っているのは医療関係者の皆さん方で、それで今日があるのです。医療現場に対する支援を最大限行っていかなければなりません。
 合わせて、守っていかねばならないのは社会なのです。医療か経済、二者択一ではない。守らねばならないのは社会なのであります。だとするならば、経済的支援の拡大と、強制力を伴った措置の導入と、このことは真剣に検討されてしかるべきであります。
 感染が収束したら特措法の改正、その立場に私は立ちません。早期に収束させるために、特措法の改正、そのために政治は政府だけで行うものではない、議会の知恵をいかに借りるか。それが国民に対して政治が果たすべき責任である。そのように考えます。
 災害は忘れる間もなくやってくる。そういう時代です。私は防災省は必要だ、心からそう信じます。日本全国1724市町村。それぞれで防災の体制が違っていいんですか。同じようなスキルを持たねばならないのではないですか。知識は伝承され、継承されねばならんのであって、優秀な人たちが各省庁からやってくる、2年たったら帰る(というのでは)、どうして蓄積と伝承ができるんですか。どうして教育が普及するんですか。
 どこにあっても同じ体制、そして24時間365日防災を考える。そういうような部署、縦割りを排し、日本国のために、絶対に必要なものである。私はそのように固く信ずるものであります。
 地方創生大臣を2年務めました。食料を作り、エネルギーを作り、出生率の高い地方が滅んで、政治であり、金融であり、経済であり、文化であり、メディアであり、その中心の東京ではありますが、食料を作らず、エネルギーを作らず、出生率は全国最低。そこにヒトが集まる、モノが集まる、カネが集まる。そういう日本国は持続可能なものなのですか。
 私は地方に雇用と所得、そのことは絶対に必要だと思います。おかしくないですか。鉄道が発達し、道路が発達し、航空路が発達し、情報網が発達すればするほど、東京一極集中はなぜ進むのですか。国がそういう仕組みになっているからです。
 明治維新後わずか50年。日本は世界の強国になった。敗戦後わずか20年で、GNP(国民総生産)は世界第2位になった。そのために東京一極集中は人為的に行われたものであります。ふるさとは志を果たして帰るものではない。志を果たしに故郷に帰る。
 東京の負荷を減らしていかねばなりません。東京の集中の利益を、限界を超えたとするならば、首都直下型地震少子高齢化、東京の持っている負担をいかにして減らすか。地方にいかにして雇用と所得をもたらすか。地方創生に、私はもう一度全身全霊で取り組み、新しい日本をつくってまいります。
 憲法について申し上げます。どうか、平成24年、党議決定をした自民党憲法改正草案、もう一度みんなで読もうではありませんか。起草員の1人として携わりました。なんで政党の役割が憲法に記されていないのですか。わが自由民主党は、日本国の中心として日々努力をしてきた。政党は権力による弾圧があってはならない。最大限自由が保障されねばならない。
しかし、国民から政党助成金をいただいている。そうであるなら、党のカネをどのように使ったのか。政党の意思はいかに決せられるべきか。そのようなことを国民にきちんと示す。権利だけ享受する主体というのはありえません。政党法の制定が必要であります。
 合区の解消。参院選は間違いなく再来年にはやってくる。鳥取、島根、高知、徳島。合区の厳しさ、苦しさ。これを解消するために憲法改正が必要である。そうしなければ地方はどうなるんですか。地方に厚く、そういうことを申し上げているのではない。合区の解消、そのためにこの時限性のある課題には取り組むべきだ。
 最高裁判所裁判官、総選挙の際に誰がその名前を知っている。この仕組みで本当に三権分離は成り立つのか。その仕組みは法律で定めていかねばなりません。
 自衛隊は国の独立を守るためのものです。そしてその行動は全て国際法にのっとってやるべきものです。相手は外国の国家主権ですから、国際法にのっとって行動するのは当然だ。その国において最強の組織であればこそ、司法・立法・行政による厳格な統制は必要である。当たり前のことであります。憲法改正は国民が決めるものである以上、わが党は先頭に立って議論を深め、一刻も早く憲法改正に取り組むべきものであります。
 私はこの34年間、ひたすら愚直に生きてきました。もっとお利口さんに立ち回ることもできたのかもしれません。ひたすら愚直に生きてまいりました。今回「納得と共感」を掲げました。「そうだね」と国民が言ってくださる、一緒にやろうと言ってくださる、それが「納得と共感」であります。
 今こそ「納得と共感」の政治をやりたい。そして成し遂げたいのはグレートリセット。もう一度この国の設計図を書き換えていくことであります。そうしなければこの国は次の時代に生き残ることができない。やらねばならないのはグレートリセットである。国のあり方をもう一度皆さんとともに考え直し作り直していきたい。
 国民は政治を信じていないかもしれない。しかし、われわれは国民を信じているのだ。「これを言っても分からない」「これを言えば票が減る」。そう言って真実を語らない政治家は国民を信じていないのではないですか。国民を信じない政治家は国民から信用されるはずはない。わが自由民主党は国民政党として、日本国のために、次の時代のために、全身全霊で臨んでまいりたいと決意を申し述べて、所信の一端といたします。ありがとうございました。


菅義偉
 ただいまご紹介をいただきました菅義偉であります。どうぞよろしくお願いを申し上げます。まず始めに、この自民党総裁選に臨むにあたり、党総裁として約8年、内閣総理大臣として7年8カ月にわたって重責を担われ、今日の礎を築いてくれました安倍晋三総裁に対し、この場をお借りし、心からの敬意を表明するとともに、その卓越した指導力と判断力に改めて最大限の賛辞を贈らせていただきたいと思います。
 また、引き続き楽観を許さない新型コロナウイルス、この目に見えない敵との戦いのために、昼夜を問わず全力で取り組んでおられます医療、介護関係者をはじめとする全ての方々に深く感謝を申し上げるとともに、この感染症によって命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈りを申し上げます。
 そして今般の台風10号など、この夏の一連の災害でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、お見舞いを申し上げる次第でございます。
 第2次安倍内閣が発足して以来、内閣官房長官として、総理のもとで日本経済の再生、外交・安全保障の再構築、全世代型社会保障制度の実現という、この国の未来を左右する重要課題に取り組み、今年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の拡大というかつてない事態に真正面から取り組んできました。
 こうした中で、陣頭指揮を執ってこられた安倍総理が道半ばで退かれることになり、総理の無念な思いを推察をいたすものであります。しかし国難にあたって政治の空白は決して許されず、一刻の猶予もありません。全ての国民の皆さんが安心できる生活を一日も早く取り戻すことができるために、一人の政治家として、安倍政権を支えてきた者の一人として、何をなすべきか熟慮してまいりました。
 そして私は自民党総裁選に立候補する決意を固めたのであります。安倍総理が進めてきた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めたいと思っております。
 今取り組むべき最優先の課題は、新型コロナウイルス対策であります。何としても欧米諸国のような爆発的な感染拡大は阻止をします。そして国民の命と健康を守ります。その上で、社会経済活動の両立を図ってまいりたいと思います。
 そのためにも、年初以来の新型コロナウイルス対策の経験を生かし、メリハリの利いた感染対策を行い、検査体制を拡充し、必要な医療体制を確保してまいります。来年の前半までに全ての国民の皆さまにワクチンが行き渡ることができるよう、その確保を目指してまいります。
 同時に、依然厳しい経済環境の中で、雇用を守り、事業を継続、続けることがまさに最優先であると考えます。最大200万円の持続化給付金、公庫や銀行による最大4000万円までの無利子無担保の融資、こうした経済対策を迅速に必要な方にお届けをしたいと思っております。
 さらに「Go Toキャンペーン」などを通じ、感染対策をしっかり講じることを前提に、観光などダメージを受けた多くの方々を支援していく考え方であります。今後も躊躇(ちゅうちょ)なく対策を講じてまいります。
 私の原点について少しだけお話しさせていただきたいと思います。雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面し、紆余(うよ)曲折を経て2年遅れで法政大学に進みました。
 いったんは民間企業に就職しましたが、世の中がおぼろげに見え始めた頃に「もしかしたらこの国を動かしているのは政治ではないか」、そうした思いに至り、縁があって横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のときです。
 秘書を11年務めた頃、偶然にも横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれました。直前まで公認を得られない厳しい選挙戦でありましたけども、38歳で当選をさせていただきました。地方政治に携わる中で、市民の皆さま方の声にお応えしていくためには地方分権を進めなきゃならない。そうした思いで国政を目指し、47歳で当選をいたしました。まさに地縁血縁のないゼロからのスタートでありました。
 ときをおいて今、私は、ここで自民党の総裁選に立候補し、皆さんを前に所見の演説をさせていただいております。五十数年前、上京した際に、今日の自分の姿は全く想像をすることもできませんでした。私のような普通の人間でも、努力をすれば総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義じゃないでしょうか。
 世の中には国民の感覚から大きくかけ離れたものが数多く、当たり前でないことが残っております。例えば赤坂の迎賓館。私は総務相になって初めて素晴らしい施設に入ったときに「田舎の両親に見させてやりたい」。こう思いました。しかし当時は年間で10日間しか開放しておりませんでした。
迎賓館は国民の財産です。官房長官になってすぐに、公務で使っていない期間は国民に開放するように指示をしました。現在では年間270日以上開放されています。京都の迎賓館も同じように開放をいたしました。
 そして災害対策のダムの活用です。台風が来る前に事前放流ができるダムは国交省が所管するダムだけでした。ところが同じダムでありながら、経産省が所管する発電用ダムや農林省が所管する農業用のダムは、この事前放流を行うことができませんでした。省庁の縦割りが原因だったんです。
 その見直しを行うことで、全国のダムの事前放流をできるようにしました。その量はなんと従来の約2倍です。今回の台風10号でも、九州を中心に75カ所のダムで事前放流を行って、下流の水位を下げることができました。
 さらに例を挙げるならば、高すぎる携帯料金、電話の料金です。公共の電波の提供を受けているにもかからず、大手3社は市場で9割の寡占状態を維持し、20%もの営業利益を上げ続けています。このような事業者の既得権益を取り払い、競争がしっかりはたらくように、さらに改革を徹底したいと思います。
 現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのか見極めて判断し、そして大胆に実行する。私の信念は今後も揺らぎません。私の中には、横浜市会議員時代も、国会議員になってからも、地方を大切にしたい、日本の全ての地方を元気にしたいという気持ちが脈々と流れております。この気持ちを原点として政策を実行してまいりました。
 第1次安倍内閣では、当選4回で総務相に就任いたしました。地方から都会に出てきた人の多くは、生まれ育ったふるさとに何らかの形で貢献したい、ふるさとと絆を保ち続けたい、そう思っているに違いないと考えて、自ら自分の中に温めておりましたふるさと納税を官僚の大反対を押し切って成立させました。今では多くの国民の皆さまにご利用いただいております。
 また、官房長官として力強く進めてきた外国人観光客、いわゆるインバウンドや、農産品の技術の促進、さらには最低賃金の全国的な引き上げなども「地方を活性化したい」、その思いからであります。今後もこれらの取り組みを強化し、頑張る地方を応援するとともに、被災地の復興を支援してまいります。
 私たちが8年前に政権を奪還して以来、安倍政権の中で一貫で取り組んできたのが経済の再生です。金融緩和、財政出動、成長戦略を柱とするアベノミクスは今後も継承し、さらなる改革を進めてまいります。
 政権発足前は1ドルは70円台、株価は8000円台、企業が経済活動を行うのは極めて厳しい状況でありました。現在はこの新型コロナウイルスの中にあっても、マーケットは安定した動きを見せております。
 安倍政権発足以来、人口減少の中で就業者数は400万人以上増えました。そして下落し続けてきた地方の地価は27年ぶりに上昇に転じました。バブル崩壊後最高の経済状態を実現したところで、新型コロナウイルスが発生しました。
まずはこの危機を乗り越えた上で、新型コロナウイルスによって明らかになったデジタル化やサプライチェーンなど新たな目標について集中的な改革、必要な投資を行い、再び力強く経済成長を実現したいと思っております。
 外交および安全保障の分野については、わが国を取り巻く環境が一層厳しくなる中、機能する日米同盟を基軸とした政策を展開してまいります。国益を守り抜く。そのために自由で開かれたインド太平洋を戦略的に推進するとともに、中国をはじめとする近隣国とその安定的な関係を構築いたします。戦後外交の総決算を目指し、特に拉致問題の解決に向けた取り組みに全力を傾けてまいります。
 弾道ミサイルなどの安全保障上の脅威、自然災害、海外に在留する日本国民へのテロの危険、これらのさまざまな緊急事態や危機に対し、迅速かつ的確に対処してまいります。環境対策、脱炭素化社会の実現、エネルギーの安定供給にも取り組んでまいります。
 憲法改正自民党立党以来の党是であります。私たち自民党は、すでに4項目のたたき台を提示しております。引き続き憲法審査会において各党がそれぞれの考え方を示した上で、与野党の枠を超えて建設的な議論を行っていくべきだと考えます。しっかり挑戦していきたいと思います。
 私たちは、まず新型コロナウイルスへの対応のために、あらゆる英知を結集します。その上で、新型コロナウイルス禍で浮き上がったのは、デジタル化の必要性であります。ようやく解禁されたオンライン診療は今後も続けていく必要があると考えます。子供たちの教育のために、(全ての小中学生に1人1台のパソコンを整備する)GIGAスクールも強力に進めます。
 行政のデジタル化については、マイナンバーカード、不可欠にも関わらず普及が進んでおりませんでした。だからこそ、できることから前倒しし、措置をします。複数の役所に分かれている政策を強力に進める体制として、デジタル庁を新設いたしたいと思います。
 また、長年の課題である少子化対策です。昨年から幼稚園、保育園、大学、専門学校の無償化を進めています。今後保育サービスを拡充し、長年の待機児童問題に終止符を打ちたいと思っております。
 さらに出産を希望する世帯を広く支援するために、不妊治療への保険適用を実現いたします。安心して子供を産み育てる社会、女性が健康で活躍することの(できる)環境を整備してまいります。
 私が目指す社会像というのは、まずは自助・共助・公助、そして絆であると考えております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で、政府が責任を持って対応する。そうした国民の皆さまから信頼される政府を目指したいと思っております。目の前に続く道は決して平坦(へいたん)ではありません。
 しかし、私が自民党の総裁になった暁には、行政の縦割りを打破し、既得権益を取り払い、あしき前例主義を排し、規制改革を全力で進める、国民のために働く内閣をつくりたいと思います。皆さまのご理解とご協力を心からお願い申し上げます。


岸田文雄
 この度自民党の総裁選挙に立候補いたしました岸田文雄でございます。浅学非才ではございますが、全力、全霊全身をかけて、この選挙に臨んでいきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。そして冒頭、私からも先日の台風10号によって被災された皆さま方、全ての皆さま方に、心からお見舞いを申し上げたいと思います。
 土砂災害など二次災害の危険もまだ残っております。警戒は緩めることはできませんが、こうした災害が次々と起こる、この時代にあたって、防災・減災、あるいは国土強靱(きょうじん)化3カ年計画など、こうした取り組みの実施継続、拡充、こうしたものをしっかり進めることによって、国家百年の大計にたって、この防災についてもしっかり考えていかなければならない、こうしたことを強く感じます。
 その上で所信について申し上げます。私が国会に議席を初めていただきましたのは1993年第40回衆議院選挙、日本国で最後に中選挙区制度で選挙が行われた選挙でありました。その選挙によって私たち自民党は野に下りました。初めて野党を経験いたしました。そのときの自民党本部の姿。私は今でも、ついこの間のようにいきいきと思い返すことができます。
 あのとき、年末予算のシーズンであるにもかかわらず、自民党の党本部、駐車場はガラガラでありました。受付の女性、あるいは守衛の皆さんも、手持ち無沙汰の様子をされておられた。また、時の幹事長は、後に総理大臣になられます森喜朗総理でありましたが、当時の森幹事長も幹事長室で暇を持て余しておられた。そういった印象を大変印象深く覚えております。
 それからわれわれ自民党は16年後、再び野に下りました。このときの選挙の結果、これは真に悲惨なものでありました。当選することができた議員119名。半分以上の同志が涙をのむ大惨敗でありました。この選挙の結果の後、われわれ野党時代でありますが、当時の谷垣禎一自民党総裁は「生声プロジェクト」というプロジェクトを打ち上げられました。要は全国、国会議員が山奥深く、あるいはどんな離島であっても、自ら足を運び、現地の皆さんと車座になって、少人数で徹底的に意見交換を行う。こうした座談会400回、500回と繰り返して、多くの国民の皆さんの声を直接聞き取るこうした努力を続けました。
 こうした国民の皆さんの聞く力、声を聞く力をエネルギーに変えて、そしてそのエネルギーでもって、われわれ自民党は与党に返り咲き、そして第2次安倍政権がスタートし、この7年8カ月の安倍政権時代が今度スタートした、こういったことでありました。私はあのとき、政治における聞く力のエネルギーの大きさ、これを改めて痛感いたしました。
 そして翻って今、私たちの国は今どういった状況にあるのか。新型コロナウイルスとの戦いの中で、医療現場において最前線で多くの関係者が大変な努力を続けておられる。また、多くの事業者が明日も事業を維持できるのか不安の中で懸命に努力を続けておられると。また多くの高齢者が医療や介護、こうしたサービスを受けられるんだろうか、不安に思っておられる。
 若者も将来の不安の中で、なかなか結婚に踏み切ることができない。あるいは子供を持ちたいと思っても、なかなか持つことができない家族がある。さまざまな悩みが、声が日本中にあふれています。私は今、こうした日本において、再び政治の聞く力、多くの国民の皆さんの声を丁寧にしっかり聞き、そしてそれをエネルギーに、政治のエネルギーに変える。こうした聞く力をしっかりと再確認をして新しい時代に向かっていかなければならない、このように思います。
 そして、安倍総理が先日退陣を表明されました。安倍総理の7年8カ月の政権。この7年8カ月は日本の歴史にとっても特筆すべき時代であると思います。日本の経済6重苦といわれた。あるいは外交崩壊とまでいわれた日本のありさまがこの7年8カ月、経済においても、外交においても、これは大変大きな成果を上げることができた。時代を大きく転換させた7年8カ月であったと思います。
 安倍総理は数々の輝かしいレガシーを残された。この評価は、平素であるならば政治家に対して皮肉っぽく、そして批判の言葉を繰り返すイギリスの経済誌エコノミスト」の安倍総理に対する評価であります。かつて日本の総理でここまで海外から評価された総理があったでありましょうか。
 安倍総理が退陣を表明された今、改めて安倍総理が7年8カ月にわたって、国家・国民のため、孤独に耐え、プレッシャーに耐えながら、身を粉にしながら努力をされてこられた。このことに改めて敬意を表し申し上げたいと思います。
 私も政調会長として、また外務大臣として、チーム安倍の一員として、仕事をすることができたことを誇りに思っています。そして今、私たちは、この安倍総理の残された成果、この輝かしい成果を土台として、次の時代を考えていかなければいけない。こういった立場にあります。
 こうした私たちに今襲いかかっているのが、新型コロナウイルスの猛威であります。医療崩壊を防ぎ、国民の命を守る。そして国民の生活、事業、そして雇用を守る。感染症対策と経済対策、これを車の両輪としてしっかり進めていく。そしてそれを実現するためには、医療におけるPCRと同時に、経済社会を回すPCRをしっかり充実させなければならない。
 また、秋冬のインフルエンザ感染蔓延(まんえん)を前にして、医療機関の経営をしっかり安定させなければならない。ワクチン、治療薬、一刻も早い開発につなげなければならない。それには、わが国は事業規模230兆円という世界最大規模の経済対策を用意したわけでありますが、これをしっかりと実施することと併せて、事態の変化に機動的に対応していかなければならない。
 今、コロナとの戦いは日本だけではなくて世界が取り組んでいます。日本だけではなくして、アメリカをはじめ世界が大型の財政出動を行っています。なおかつ経済の厳しい状況を考えると、金利はなかなか上げることができない。
 この状況の中にあっては、このタイミングにおいては、われわれは必要であるならば、思い切った財政措置、これも引き続き考えていかなければいけない。こういった立場にあるんだということも感じます。ぜひ、こうした新型コロナウイルスとの戦い、まずは政治が大きな責任として、しっかり続けていかなければなりません。
 しかしながら、この新型コロナウイルスとの戦いの中で、わが国の持つさまざまな課題、こういったものも浮かび上がってきました。例えば経済。アベノミクスによって間違いなく大きな経済の成果が得られました。GDP、企業収益、雇用、どれをとっても大きな成果が確認をされました。これは素晴らしいことです。
 ただ、この成長の果実、いつかこの所得の中間層へ、いつか中小企業・零細企業へ、いつか地方へという期待がありました。こうした課題がありました。そこへ新型コロナウイルスの猛威が襲いかかった。結果、どういうことになったのか。株価は引き続き2万3000円を維持しています。資産は守られている。しかし、一夜にして所得が8割、9割消えてしまった、蒸発してしまった方もおられる。
 ITに対応できる企業と対応できない事業、接触型産業と非接触型産業、間違いなくコロナとの戦いにおいて、格差の問題、これはわれわれ政治の立場から真剣に向き合わなければいけない。課題として浮かび上がってきているのではないか、これを感じます。格差の問題については、この成長の果実の分配、税制等における分配についても考えていかなければいけない。
 また、中間層への支援というのは、日本だけではなくて、アメリカをはじめ世界各国の課題として浮かび上がっています。この中間層への支援、教育、あるいは住宅、こういった部分における支援が最も効果的だ、こういった議論が行われています。最低賃金の引き上げ、こういったものも考えなければなりません。
 また加えて、この資本主義そのものについても考えなければいけない、こういった時期が来ています。もうけ、あるいは効率最優先の資本主義、新自由主義というものが批判をされ始めてからも久しいわけでありますが、今(投資判断に環境、社会、企業統治の視点を取り入れる)ESG投資ですとか、SDGs(持続可能な開発目標)ですとか、世界的にこういったものが注目をされている。
 こういった時代にあって、私たちは改めて、人に優しい、公益に資する、持続可能な資本主義を考えていかなければいけないのではないか。日本においても、昨今、渋沢栄一が再評価されている。こういった動きも、こうした流れの一環ではないかと思います。
 資本主義というもの、資本と労働、カネと人、これが大きな要素だといわれています。このカネの部分ではなくして、人の部分にしっかりと注目をする、分配を考えていく、こういった資本主義、今考えていく必要があるんではないか。こんな問題意識も持ちます。
 また、経済においては、財政と金融、この2つのエンジンでこの経済の成長を引っ張ってきた。しかし、持続可能性ということを考えたら、もう一つのエンジン、成長戦略、新しい時代の成長のエンジンをしっかり考え、吹かしていかないと、持続可能性を維持することができないんではないか、こんな問題意識があります。
 21世紀の石油といわれるビッグデータや、あるいは5Gをはじめとする最新の技術、こういったものをしっかりと結びつけることによって、新しいエンジンを作る。そしてこういった考え方は地方においても大変有効な考え方であります。
 地方においても従来から都市と地方の格差という問題が問題意識としてありました。今、新型コロナウイルスとの戦いの中で、デジタル化、リモート化、あるいはテレワーク、東京や大都市にいなくても働くことができるんだ、あるいは東京や大都市にいなくても情報が得られる、医療や教育が受けられる、これを私たち日本人は改めて実感をした。これが今の状態だと思います。
 過度の東京や大都市への集中は、感染症ということの戦いにおいても問題だ。これも考え直していかなければいけない。こういった意識が広がっている今こそ、地方にとってのチャンスがめぐってきた。こういったことではないかと思います。
 データや最新の技術をそれぞれの分野に結びつけることによって、ドローン宅配や自動運転やリモート診療、リモート教育、スマート農林水産業、さまざまなこの成長のエンジンに、地方のエンジンに結び付けていく。これはチャンスではないか。こういったことを強く感じています。
 40年前、「田園都市構想」という構想が大平(正芳)総理によって打ち出された。こういった時代がありました。田園に都市の便利さを、都市に田園の豊かさを、こうした個性あるあふれる都市を全国に作ろう。こういった構想でありましたが、この構想に40年ぶりに命を吹き込むチャンスを私たちは今得ているんではないか。こんなことを思います。
 そして、こうした成長戦略、あるいはデジタル田園都市構想、こうした構想を考えるにつきましても、このわが国の官民挙げてのデジタル化、そしてその上に21世紀の石油といわれるデータをしっかり乗っけることによって、こうしたエンジンをしっかりと吹かしていかなければいけないのではないか。
 デジタル化を進めることによって、この省庁の垣根を払う、全国民間にも広げていく。もちろんこれは大事ですが、その上にデータがしっかり乗ってこそ成果につながる。よってこの制度の組織の名前はさまざまでありましょうが、私はデジタルの部分については「DX推進委員会」、そしてデータの部分については「データ庁」、こういったものを考えてもいいんではないか、こんなことが言われています。
 そして外交の部分についても、日米関係、日中関係、これはともに大事でありますが、やはり世界の分断、保護主義自国第一主義、あるいはブロック経済、こういったものが進む中にあって、日本のように資源のない国、島国、人口が減少する国が生きていくとしたならば、二国間関係もちろん大事でありますが、やはりマルチ外交、これが大事になってくるのではないか。
 自由や民主主義、こうした基本的な価値を共有する国々とともに、地球規模の課題、環境やエネルギー、平和、こういった問題にしっかり取り組んでいく。こういった外交、その中で日本というような国は、存在感を示し、そして「日本みたいな国は大事な国だな」と言ってもらえるような国を目指す。これが、この分断が進む社会に、国際社会における日本の生きる道ではないかと思います。
 このように、国の内外に格差や分断が進む、この現代的なこの課題に、しっかりと分断から協調へと臨んでいく。これが今から望まれるのではないか。そして、こうした課題を解決するためには、あらゆる課題が国民の協力なくして結果を得ることができません。国民の協力を引き出す政治が今、求められている。国民の協力を引き出すためには、政治の信頼と、そして冒頭申し上げました政治の聞く力、これをしっかり取り戻さなければなりません。
 今、日本は国難にあります。こういったときだから保守のこの政治が重要になってきます。歴史や文化を大事にしながら、歴史の教訓に思いをめぐらし、徹底的な現実主義に基づいて、変えるものを変えていく。こうした保守のあり方があるからこそ、保守は激動の時代において成果を上げ、国民をまとめることができます。これが今できるのは、自由民主党だけであるということをわれわれはしっかりとこの胸に、国民の皆さんに政治を訴えていかなければなりません。
 そして最後に個人的なことを申し上げて恐縮ですが、私はこれまでの人生、本当に多くの失敗を繰り返していきました。例えば学生時代、私はですね、大学、同じ大学の入試に3回失敗しました。また野球をやりましたら、さまざまな失敗に出合いました。国会議員になってからも、さまざまな失敗を繰り返しました。その中で得たもの、これはチームに参加する、協力してくれる人の心が分かるようになった。こういったことです。
 ぜひ激動の時代、自民党はオールスターで、そしてこのオール自民党で、チームを組んで、そして激動の時代、最高のパフォーマンスを繰り広げなければなりません。そのために、自分が輝くのではなくして、チームの一人一人を輝かせる、こういったリーダーを目指したいと思います。
 ぜひ激動の時代、ともに、皆さんとともに政治を前進させるために、ご理解、ご協力を心からお願い申し上げて話を終わらせていただきます。ありがとうございました。