kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

韓国もミサイルを発射しましたw ―― 韓国型発射体ヌリ号打ち上げ失敗

先日、北朝鮮
突如
潜水艦からSLBMを発射した、
ミサイル試射を公表しましたが……
それに対抗した訳ではないのでしょうけど。
韓国でも
昨日
ミサイルを発射して……
韓国の場合
自称・衛星打ち上げのためのロケットという建前のミサイルですが。
それを発射したのですが、
盛大に失敗した様子が
ニュース記事になって掲載されていたので。
ブックマークを付けてみました。



とはいえ、
この件、
日本国内のメディアでは
速報的に
さらりと取り上げられただけで終わってしまって。
日本では
まったくもって注目されていませんw
まあ、
打ち上げ失敗してますから。
たいていの人は
興味持てなくて当然なのですけどw



韓国での
国産ロケット開発は
今に始まった話ではなくて。
かなり前から
それこそ
宇宙開発を具体的に言い出したのが、
今を遡ること20年近く前の
盧武鉉大統領の時代か
もう少し前の時代くらいだったのかな。
そのころから
ロケットというかミサイル開発を進めていて。
旧ソ連の技術、
ロケットエンジンの技術を買ったり、
ロシアから
ロケットエンジンそのものの提供を受けたりして
技術習得、改良を進めていたりしたけど。
これがまあ、
全然上手くいきませんw
今回の発射実験は
3回目となるのですが……
前回、前々回となる
1回目、2回目の発射実験が実施されたのが
2009年、2010年でしたから。
それから
10年以上もの時間が空いているわけで。
韓国内では、
ロケットの開発は不可能じゃないのか、
とか
言われていたのですけど。
たしかにまあ、
今回も
打ち上げ失敗していますし。
10年かけて
研究開発を進めた結果が
一段目と二段目のロケットが爆発しないで
とりあえず最期まで燃焼するようになりました……
これは
大いに喜ぶべき事なのかどうか。



公式発表では、
今回の失敗の原因は
3段目ロケットの燃焼が予定の半分程度で途切れてしまい。
その結果、
推力が予定値に届かず
目標地点に到達できなかった。
ということになっていますけど……
そういう話を聞くと、
私などは
『それって最初から燃料を満載にせずに
 打ち上げたんじゃないの』
とか邪推してしまいますw
予定通りの燃料を満載にしてしまうと、
一段目と二段目のロケットが負荷に耐えられずに
暴発する可能性が高かったので。
だから
負荷軽減して
一段目と二段目のロケット燃焼を優先するために
最初から三段目の燃料を減らしました。
なので、
打ち上げた時点で
三段目は
目標高度に到達できないのは想定通りです、みたいなw
加速度Gによって重量にかかる圧力は
何倍にも膨れ上がりますから、
爆発させずに形だけの打ち上げ成功を優先するのなら、
こういうやり方も有り得ると思うんですよねぇ……
ただ、
このやり方だと、
ロケット自体の推力と安定性が圧倒的に不足しているのが
明らかなわけで。
それを
開発者達が自覚している、って事ですから。
目標到達のためには
結局
全部作り直さないと成功しない、というw

 

 

japanese.joins.com

 

韓国型発射体ヌリ号、第1・2段ロケットまでは成功…第3段ロケット、推力不足で衛星の軌道安着に失敗

宇宙ロケット独立、未完だが成功の日だった。純粋な国内技術で作られた初めての韓国型発射体(KSLV-2)「ヌリ号」が最終段階で人工衛星のダミーを軌道にのせることに失敗した。21日午後5時、全羅南道(チョルラナムド)高興(コフン)半島の先端にある羅老(ナロ)宇宙センターから韓国科学技術の“自尊心”が打ち上げられた。15度というやや肌寒い天候の中、発射場には火炎が作り出した巨大な綿雲が広がり始めた。ヌリ号は当初午後4時に打ち上げられる予定だったが、発射台下部システムおよびバルブ点検に追加時間がかかり、予定より1時間遅れた午後5時定刻に打ち上げられた。ヌリ号は離陸後127秒に高度59キロメートルに到達し、第1段ロケットを分離した。

◆第1・2段ロケットまでは成功…第3段ロケットは推力不足で衛星の軌道安着に失敗
離陸233秒には高度191キロメートルに到達して第3段部の先端にあるフェアリングを分離した。
フェアリングはヌリ号の先端部に搭載している人工衛星を保護する一種の覆いだ。ヌリ号の場合、開発後初めての打ち上げということで正式な人工衛星ではなくダミー衛星を搭載した。ヌリ号は打ち上げ274秒後、高度258キロメートルに達して第2段ロケットも分離した。直ちに第3段ロケットが点火し、しばらくして目標としている上空高度700キロメートルに到達した。この時まではすべてのことが順調に見えた。羅老宇宙センター関係者はすべて完ぺきな成功だと考えた。だが、最終段階である衛星ダミーの宇宙軌道安着の便りが聞こえてこなかった。原因は第3段部の責任を負う7トンエンジンの問題だった。7トンエンジンは目標としていた521秒間を燃焼することができず427秒で早期終了した。このために目標速度としていた秒速7.5キロメートルに達することができず軌道進入に失敗した。
羅老宇宙センターの現場を参観した文在寅ムン・ジェイン)大統領は「残念ながら目標に完全に達することはできなかったが、最初の打ち上げで非常に素晴らしい成果を挙げた」とし「今日不足した部分を点検して補完すれば、来年5月の2回目の打ち上げでは必ず完ぺきな成功を収めることになるだろう」と述べた。
科学技術情報通信部の林惠淑(イム・ヘスク)長官は「政府は韓国航空宇宙研究院と外部専門家が参加する打ち上げ調査委員会を直ちに構成し、第3段エンジン早期終了の原因を特定して2回目の打ち上げを準備する」とし「今後さらに奮発して国民の皆さまと共に宇宙に向けた挑戦を続ける」と述べた。
最後の段階の失敗は残念だが、21日のヌリ号打ち上げは大韓民国が世界10大宇宙ロケット技術保有国になったことを意味する。これに先立ち、2013年初めて韓国型発射体(LSLV-1)羅老号が宇宙に打ち上げられたが、事実は半分の成功だった。当時政府は「自国発射場から自国発射体で自国人工衛星を軌道に投じた国になった」と自慢したが、羅老号の第1段ロケットはロシアから持ってきた「完成品」形態だった。第2段部も液体ではなく固体ロケットを使用していた。
宇宙ロケット技術は代表的な安保技術なので、国家間の技術移転が厳しく禁止されている分野だ。宇宙ロケット技術と戦略武器であるミサイル、特に大陸間弾道ミサイルICBM)技術とは大きな違いがないためだ。米国やロシアなど宇宙ロケット技術をすでに確保した国の大学と研究所では外国国籍者がロケット開発技術に近づけないように遮断している。
現在、世界的に宇宙ロケットの自力打ち上げ能力を備えた国は米国・ロシア・中国・フランス・インド・日本・イスラエル・イラン・北朝鮮など9カ国だけだ。この中でも重さ1トン以上の実用人工衛星の打ち上げができる国は6カ国だけだ。イスラエルとイラン・北朝鮮は300キログラム以下の衛星自力打ち上げ能力だけを保有している。
ヌリ号は長さが15階建マンションの高さに匹敵する47.2メートルに達する。総重量も200トンに達する。第1段部にはケロシン(灯油)を燃料とし、液体酸素を酸化剤でとして使う推力75トンの液体ロケットエンジン4基を束にした。第2段部には75トンエンジン一つを、第3段部には7トン液体エンジンを取り付けた。1.5トン級実用衛星を地球低軌道(600~800キロメートル)にのせることができる。
ヌリ号は来年5月に2回目の打ち上げを行った後、2027年までに4回の追加打ち上げを通じて性能を確認する予定だ。2010年3月から来年10月まで続くヌリ号開発には計1兆9572億ウォンの予算が投入された。
ヌリ号が「未完の成功」に達するまでは「蓄積の時間」があった。1989年韓国航空宇宙研究院(航宇研)の設立以来、93年に開発した1段型固体科学ロケット「KSR-1」がその始まりだ。その後98年2段型固体科学ロケット「KSR-2」、2003年液体推進科学ロケット「KSR-3」につながった。
2002年からは100キロの小型衛星を地球軌道に実際に打ち上げることができる韓国型発射体(KSLV-1)羅老号プロジェクトが始まった。羅老号は2009年をはじめ3回打ち上げられたが、1回目と2回目は失敗して三度目の挑戦でようやく成功を納めることができた。

◆ヌリ号75トンエンジン、82トンに改良推進
2009年8月の1回目の打ち上げ時は離陸には成功したが搭載体である科学技術衛星2号を保護するフェアリングの片方が分離せず目標軌道の進入に失敗した。2010年6月の2回目の打ち上げ時は離陸137秒後に空中爆発した。羅老号はこのような過程を経て2013年1月31日午後3時45分、3回目の打ち上げで成功して宇宙に飛翔した。
韓国航空宇宙研究院はヌリ号とは別に韓国型発射体高度化事業に対する準備も進めている。ヌリ号よりも重い搭載体を宇宙軌道に打ち上げることができて、月探査が可能な水準の発射体を開発するという目標だ。昨年推力75トンのヌリ号エンジンを改良して82トンにし、搭載体の重量を最大2.8トンまで可能にする内容の韓国型発射体高度化事業計画書を提出したが、今年8月の予備妥当性調査で「挑戦性と革新性が不足する」という理由で脱落した。
大統領秘書室経済科学特別補佐官を務めたことがあるソウル大学工大のイ・ジョンドン教授は「今回のヌリ号打ち上げは89年の航宇研設立以来、過去30年余りの間に蓄積された経験が成果として現れた」と語った。