kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみ申し上げます ―― 南海などで活躍した門田博光氏が死去、74歳

南海ホークス
懐かしいですねぇ……



私が
この方のプレーを見たのは、
記憶として覚えているのは
大けがをした後、
カムバックしてからの
大振りフルスイング一発狙い、へのバッティングスタイルへと
転向してから。
ホームランをポコーン、ポコーンと
打つようになって。
当時、
日本プロ野球パ・リーグなんて
全然人気なくて。
テレビでの試合中継は、
まったく枠がありませんでした。
テレビの
野球中継と言えば、
読売巨人軍セ・リーグ全盛時代。
パリーグの扱いは
NHKがかろうじて中継枠を持っていて。
西武とかロッテとか阪急とか近鉄とか南海とか、
あと一つどこだっけ?
ああ、
日ハムだよ!
まんべんなく試合を中継していました。
それと
スポーツニュース枠で、
全試合、
ダイジェストで放映されていました。
でも
スポーツニュースでの扱いも、
パリーグの試合は、
セリーグの試合に比べて、
放送時間(尺)が半分以下。
当時のパリーグの試合って、
スポーツニュースの中でも
ホームランを打つシーンか、
記録が出たシーンか、
それとも、
ピッチャーが三振をとって好投したシーンか、
そんな
断片的な映像しか使われませんでした。
その中で
ホームランを打つシーン、打席は、
だいたい
試合を決める一打、決勝点になる事が多いので。
試合ダイジェストの中心的な映像に使われていました。
で、
南海ホークスの試合を
ダイジェストで流すときは。
けっこうな頻度で、
門田選手が映るんですよ。
ホームランを打つから。
それもバットをブンブン振り回すので、
映像的にも見栄えするので、
使いやすかったのかな。
と、
今さら気がつきました。
で、
当時は
野球少年やっていた私は、
スポーツニュースを見て。
南海ホークスというチームの事は
良くわからなくても。
豪快なホームランを打ちまくる、
というか。
スポーツニュースで
何度も取り上げられた
門田選手の姿にすっかり魅了されて。
顔を覚えてしまいました。
南海ホークスの事は
全然興味持てなかったのですけどね。



その門田選手も
2000年になる前に引退してしまって。
日本プロ野球の中で、
パリーグが盛り上がっていったのは、
その後からでしたねぇ。
イチローが出てきて、
野茂が
メジャーに挑戦して。
松坂が出てきて、
WBCが始まって、
なんというか、
パ・リーグ
それまでのプロ野球の枠組をぶっ壊して
セ・リーグとは異なる
新たな場所へ
突き抜けて行きました。



でも、
その頃には
門田選手は
すでに引退していて。
とても尖った個性を持った選手でしたから、
いま現役だったら、
面白い事になったのになぁ。
と、
ちょっと寂しく思ったり。



って、
振り返ってみると。
これが
今から20年も30年も前の話なんですよねぇ。
時の流れは
早いなぁ……
謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

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南海などで活躍した門田博光氏が死去、74歳…歴代3位の567本塁打・「不惑の2冠王」

 プロ野球南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)などで活躍し、歴代3位となる567本塁打をマークした門田博光(かどた・ひろみつ)氏が死去したことが24日、わかった。74歳だった。
 山口県出身。天理高からクラレ岡山を経て、ドラフト2位で1970年に南海入団。思い切りの良い打撃で、2年目から打点王を獲得した。79年春に右アキレス 腱けん を切る大けがをしたものの、81年に初の本塁打王に輝くなど見事復活。88年には40歳で本塁打、打点の2冠に輝いてMVPを獲得し、「不惑の2冠王」や「中年の星」などと呼ばれた。89年にオリックス、91年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、44歳まで23年間現役を続け、92年に引退した。
 現役時代の通算成績は、2571試合出場、567本塁打、2566安打、1678打点、打率2割8分9厘。2006年1月に野球殿堂入りを果たした。本塁打王貞治氏(巨人、868本)、野村克也氏(南海など、657本)に次ぐ歴代3位。
 門田さんは晩年、兵庫県内の病院に通院していた。24日、病院から「来院予定の門田さんが来ていない」と電話を受けた県警が消防に連絡。駆けつけた消防隊員が、住宅内で倒れている門田さんを発見した。その後、県警が死亡を確認した。