kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔み申し上げます…… ── 俳優 中尾彬さん死去 81歳

最近、
テレビで見かけなくなったなぁ。
映画とかにも出ていないし、
どうしたんだろう……
と、
気になって
ネットで情報を漁ってみようか。
と思っていたら、
ねぇ……
大きな病気を患って闘病中、
という話も出ていなくて。
突然の訃報にビックリしました。



この方が所属していた事務所が発表した情報では。
今年に入ってから
ガクッと体力が落ちて仕事量をセーブしつつ、
リハビリに励んでいたところで。
今月15日に容態が急変して、
そのまま
翌日の16日に心不全のため自宅で亡くなられたそうで。
御年81歳……というと、
私の父親とほぼ同じ年齢です。
それで、
私が父親を2年以上介護してきた経験に照らし合わせると。
多分、
公表していないけど、
何かしらの大病を患っていたんじゃないのかなぁ。
死因が心不全なので、
循環器系……
血管が詰まりやすくなっていた、とか。
そこから連想できるのが、
軽度の脳梗塞で軽い麻痺が残って、
それで
リハビリに励んでいた、とか。
その最中に
容態が悪化して亡くなられてしまった、
とか。
去年、
千葉県木更津市に美術品を寄贈したときに撮影された記念写真のお姿は、
撮影日が
令和5年11月27日となっている写真を見ると、
かなり福々しく恰幅がよく見えるので。
きちんと食事が採れて
それなりに体調が維持できているんだろうなぁ。
と見える反面、
この肉付きだと、
糖尿病とか高血圧とか
循環器系、血管系のリスクが高かそうだなぁ、
と見えるんですよねぇ。
それで、
今年は
4月、5月が季節外れの真夏日になったり、
冷え込んだり、
日ごとの寒暖差が10度以上も開いたり。
体への負担が大きな日が
続いたので。
色々とキツかったじゃないのかなぁ。


謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

www3.nhk.or.jp

俳優 中尾彬さん死去 81歳 映画やドラマなどで活躍

 貫禄ある演技で映画やテレビドラマで活躍し、バラエティー番組でも人気を集めた俳優の中尾彬さんが、今月16日に心不全のため亡くなりました。81歳でした。
 中尾さんは千葉県木更津市の出身で、武蔵野美術大学在学中に日活ニューフェイスに合格し、俳優の道を歩み始めました。
 渋い声と貫禄のある演技で、個性派俳優として活躍し、映画では、1993年以降、平成の「ゴジラ」シリーズに出演したほか、「極道の妻たち」や「アウトレイジビヨンド」など話題作に出演しました。
 NHKでは大河ドラマの「秀吉」や「龍馬伝」をはじめ、「ハゲタカ」など数々のドラマに出演しました。
 こわもてで悪役のイメージがある一方、マフラーをねじって首に巻く個性的なファッションでバラエティー番組に出演しユニークな発言でご意見番として人気を集めました。
 また、妻は俳優の池波志乃さんで、おしどり夫婦としてさまざまな番組に2人で出演し親しまれました。
 所属事務所などによりますと中尾さんは、ことしに入り足腰が悪く体力も落ちていたということです。
 それでも、時々、仕事をしたり、旅行に向けたリハビリに取り組んだりしていたということですが、今月15日に容体が急変し、翌16日に心不全のため自宅で亡くなったということです。81歳でした。

妻の池波志乃さん「中尾彬らしいね~と笑って送ってあげて」 
 中尾さんの妻の池波志乃さんは「今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」などとコメントを発表しました。

 

 

 

 

www.sankei.com

千葉・木更津を愛し、愛された名優、中尾彬さん 美術品を母校に寄贈し地元PRにも貢献

 16日に亡くなった個性派俳優の中尾彬さん(享年81)は千葉県木更津市出身で、地元のPR大使を務めていた。母校に自作の絵画を寄贈するなど、木更津をこよなく愛していただけに、中尾さんの温かな人柄を知る人たちからは悼む声が聞かれた。
 中尾さんは小学生のころから絵画のコンクールで入賞し、絵が得意だった。母校の県立木更津第一高校(現・木更津高校)には、自身の心象風景を描き、40年ほど前にフランスの絵画展「ル・サロン」に出品された、「故郷」と呼ばれる作品を寄贈している。
 俳優を志す前は武蔵野美術大に通っていた。
 30年以上前からは、気に入ったリトグラフ(版画)があると自ら画廊に出向き、手に取ってきた。
 こうして集めたアンリ・マティス藤田嗣治らの作品や、自ら描いた3作品を含めた計38点を昨年11月、市に寄贈した。中尾さんは当時、「木更津で終活しており、木更津の人に見てもらった方がいいと思い、寄付をした」と語っていた。
 一方、平成29年からは木更津PR大使を続け、成人式には新成人へのビデオメッセージを届けるなど、地元に貢献してきた。
 地域の電子通貨「アクアコイン」にも起用された。決済時に「いいねぇ、木更津」「木更津、楽しいねぇ」と出る、ダンディーな音声が親しまれた。
 令和元年房総半島台風で、地元の復興になればと、市に寄付を行っていた。翌年の元日に発行された市の広報紙「広報きさらづ」では、渡辺芳邦市長との対談で「(台風で)私の実家も梅の木が1本折れてしまって、木更津もいろんな被害があって大変だっただろうなと思いました」と地元を気遣っていた。