一言で言うと、
アメリカは韓国への愛が無いニダ! アイゴー!
的な記事です。
久々に面白かったのでブックマークを貼りました。
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読んでいて
つくづく感じたのは、
日本と韓国では世界観に10年以上のギャップがある
という現実を
記事の中に見つけてしまった。
なぜ、
日本人から見て韓国人が子供っぽく見えるのか。
その原因の一端が判った。
事に対する、驚き……
いや、驚きはないですね。
これまでの一連の騒動で、薄々感じていた事なので。
むしろ
妙な『納得』というか、
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日本は、
今から10年以上も前に
かの売国政権として名高い『民主党政権』が誕生して。
そこで、
『普天間基地移設問題』
と
『尖閣諸島沖漁船拿捕事件』
と。
その後に起きた、
『中国内日本企業焼き討ち』
と。
外交問題として大きな、
まさに
歴史的転換点という。
大事件に遭遇したのですが。
いま、
これまでの過去を振り返ってみると、
ここまでの、
世界情勢、潮流の大きな変化。
今、
国際問題として表面化した、
米中貿易摩擦、
覇権を掛けた対立の激化を、
もっとも早い段階で、
それこそ世界で一番目に、
かなり激しい形で経験した国……それが日本なんですね。
そして、
それらの国際情勢の変化を受けての、
国内世論の分断、
対立。
これを既に経験していたのです。
今の
『安倍・自民党政権』は
それらの、
分断・対立を乗り越える過程において成立し、
今も継続しているわけです。
その途中には、
『集団的自衛権』解釈の拡大、という。
国家としての、
大きな方針転換も経験してます。
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今回ブックマークを貼った記事の中に書かれている、
『シビアな、自己中心的なアメリカ』だって、
『基地移設問題』『尖閣問題』において、
アメリカの支援を得るためには如何にするべきか。
という過去体験で
日本人はすでに経験ずみ、
嫌と言うほど知悉しているのですよね。
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つまりは、
日本は韓国に比べると、
外交情勢、経験において10年以上先に進んでいる。
そのくらいの『差』が存在するのではないか。
と。
下手をすると、
その『差』は一世代分かもしれません。
大人と子供ほどの経験差、
世代間ギャップ。と言ってもいいかもしれない。
こうなるともう、
何をするにつけても、
まったく話が噛み合わないのも当然です。
同じ物を見ていても、感じている内容が全く異なるのですから。
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で、
そんな『子供じみた』韓国に比べて
経験豊富な一日本国民が
今の韓国に対して感じている印象を率直に述べると。
『改革を拒否して旧態依然にしがみつき破綻している』と見えるのですよね。
例えるのなら、
日本でも『自称リベラル』勢力が
いまだに1955年体制の価値観を引きずった内容で安倍政権批判に血道を上げて、
躍起になって騒いでいるのですけども。
それで、
多くの日本国民からはそっぽを向かれて、
どんどん支持者が減り衰退の一途をたどっておりますが。
今の韓国の動きは、
そんな『自称リベラル』勢力にそっくり、瓜二つです。
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思想、信条というのは
時代の趨勢に合わせてどんどんアップデートされていくべき物であって。
かの
有名な『基本的人権』の概念も、
時代ごとに内容はどんどん変遷、拡大、修正されて、
常に、
新しく、その時代=今に適した内容に移り変わっているのです。
旧態以前のままの思想を
金科玉条のごとく奉じて、
あまつさえ、それを他者にも押しつけよう、とするのは、
それはもう
『信仰』『宗教』であって。
『政治の場に持ち込んではいけない』類いの物です。
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とまあ、
政治の素人である私が気がついた
この程度の内容。
日本やアメリカの専門家なら、
とっくに見抜いているでしょう。
それを踏まえた上で、
この先どうするべきか。
アレコレとシミュレーションしているのでしょうねぇ。
これから、
どうなりますやら。
ちなみに、
社会と共存できない宗教団体は
『カルト』とレッテルを貼られて。
排除されるのが、
世の常です。
と同時に、
『カルト』は先鋭化して、
反社会的な行動で体制に反撃、
一般市民を攻撃して、
社会を支配しようとします。
日本人も気をつけなければなりません。
米国はもちろんある。我々が知っていると思っているその米国はもうないということだ。挑発的直説で有名な地政学戦略家ピーター・ゼイハン氏と先月会って確信した。訪韓が初めてだというゼイハン氏に、ソウルの興味深い場面を尋ねると太極旗集会を挙げた彼が私に聞いた。「太極旗集会で星条旗がなぜ登場するのか」。韓米同盟を重視するためだと答えると、ゼイハン氏はこのように言った。「なんということだ。韓国のための米国はもうないのに」。徳寿宮(トクスグン)大漢門前の「韓国人はトランプと米国人を愛する」「韓米同盟は永遠だ」と書かれたプラカードは面目を失った。
要旨はこうだ。米国が世界の警察役を果たしながらお金と時間を際限なく投じたのは中東の石油が必要だったためだが、今はもうシェールガスでエネルギー自給の夢をかなえたので潮目が変わったということだ。世界の1等国家の自尊心は守るだろうが、米国は世界秩序の維持には関心がなく、韓国はこれからはサイの角のように一人で生きる道を探っていかなくてはならないということだ。このように抗弁してみた。最新性能フェラーリをガレージだけに置いておくことと何が違うのかと。ゼイハン氏は「フェラーリを走らせることになれば金しか使わないが、誇示さえすれば実益を取ることができる」と答えた。事業家気質のドナルド・トランプ大統領の時代が終われば我々が知っている米国が戻ってくるのではないか。また、直球が戻ってきた。「トランプはただの信号弾にすぎない」。
もちろん、ゼイハン氏の個人的な意見だ。しかし、最近の米国外交の新孤立主義路線の推移を見ると、今が始まりだというのが米国専門家の大半の意見だ。韓国のいわゆる進歩、別名保守勢力の胸中に固定されていた米国のイメージと別れを告げるときがやってきたということだ。白昼堂々と米国大使官邸にはしごを使って侵入しようとした彼らの胸中にある「悪徳米国」も、血によって韓国をいつまでも守ってくれる「善良な米国」ももうない。米国は進化した。理念スペクトラムを離れ、2019年大韓民国のための真の実用外交が何か額を突き合わせなければならない。その場の感情に任せる「気分外交」も、考えていることが透けて見える「ガラス玉外交」も亡国の道だ。目の前の票集めには瞬間的に効果を出すことができるかもしれないが。差し当たっては10日後に迫った韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の決定から賢明なところを見せなければならない。
2015年に書いた企画記事の題名は「外交はジャズだ…。強弱テンポのある柔軟な戦略を使う時」だった。米国の正統外交官リチャード・ホルブルック氏が残した「一つのテーマを異なる手法で変奏するのが外交」という言葉から取ってきた。それから4年が過ぎ、政権も変わったが、依然として有効な話ということで悲しい。頑固にその場に居続け、声だけ大きいロックンロール外交だけするならば、19世紀の旧韓末から我々は何が良くなったのだろうか。我々が知っている米国はない。それに気づかなければ、すなわち韓国外交も、韓国もない。