この方は、
私の青春時代のヒーローです。
柔道男子でオリンピック2連覇は、
この方が初めてでした。
とくに
ブックマークを付けた記事の中にも記載されている、
連覇を掛けた
バルセロナ・オリンピックでは
大会参加直前に大けがをして、
完治しない状態で。
連覇に挑んだ、という。
痛み止めの注射をうち、
足の感覚が無い状態で
一本背負いなど様々な技を決めて。
その
熱い闘志をほとばしらせて、
一心不乱に向かっていく姿に、
多くの日本国民が
心を打たれたものです。
・
・
・
とはいえ、
もう30年近く前の記録なので。
今時の
若い人達は
まったく知りませんよねぇ……(涙
・
・
・
また
この人は
日本柔道界を代表する指導者、教育者であり。
後進の育成にも熱心で。
何人もの名選手を育てています。
過去には
オリンピックの強化委員も担当していましたし。
なので、
最近
東京五輪2020関連では
まったく名前が挙らない、
姿を見かけなくなった事に、違和感を覚えていたのですが……
本来なら
大会組織委員として名前を連ねていてもおかしくない、
というよりも。
名前があって当然、と言えるだけの
実績と実力を兼ね備えている人ですから。
まさか、
ガン闘病中だったとは。
・
・
・
私より
少し上の世代で、
まだまだ指導者としてはこれからだったのにナァ。
ゆくゆくは
柔道界を背負った立つ、
そういう器を持っていた方でした。
それが
こんな道半ばといえる年齢で亡くなられてしまう、とは。
私は
こんな偉そうな事を言える立場ではありませんが。
本当に残念です。
そして、
この先、
ヒーローの姿が二度と見られないのは
とても哀しいですね。
・
・
・
お悔やみ申し上げます。
今まで、
たくさんの感動をありがとうございました。
1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で金メダルを獲得した古賀稔彦(こが・としひこ)さんが24日、死去した。53歳だった。古賀さんが女子柔道部の総監督を務める環太平洋大(岡山市)が明らかにした。関係者によると、古賀さんは、がんの治療中だった。
古賀さんはソウル、バルセロナ、アトランタ五輪に3大会連続で出場。日本選手団の主将を務めたバルセロナ五輪では、大会開幕直前に左膝靱帯じんたい損傷の大けがを負ったが、決勝でハンガリー選手を大接戦の末に破って優勝した。96年アトランタ五輪でも78キロ級で銀メダルを獲得した。
世界選手権でも89、91、95年に優勝。小柄な体から切れ味鋭い技を繰り出し、鮮やかな背負い投げで「平成の三四郎」と呼ばれた。現役引退後は川崎市で「古賀塾」を開くなど柔道の普及に尽力していた。2004年アテネ、08年北京両五輪の柔道女子63キロ級で金メダルに輝いた谷本歩実さんも育てた。