kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

夢をありがとう…… ―― 伝説の有馬記念3年連続3着ナイスネイチャ死す「眠るように」大往生35歳

ついに逝ってしまいました……
今の気持ちは
悲しい、というか。
私的に
憧れていたヒーローを失って
寂しいですねぇ。



先々週あたりから、
いや
もっと前からかな、
体調を崩している事が発表されていて。
エサも食べなくなった、
というので。
年齢も
競走馬の平均寿命を遙かに超えていますから。
いよいよかなぁ、
と。
一ファンとして覚悟していました。
それでも、
先週末に
いったんは持ち直して
エサをモリモリ食べ始めた報告が出たので。
淡い期待を持っていたのですが……
残念です。



この馬は、
いわゆる『強い』馬ではありませんでした。
希代のアイドルホースだった、
オグリキャップの登場で
日本競馬が空前の盛り上がりを見せて。
彼の馬が引退した後も、
『名馬』と呼ばれる馬たちが次々に生まれて、
競馬界を
さらに盛り上げていく中。
ナイスネイチャ
G1未勝利、
G2(重賞)4賞、
目立った記録は
有馬記念3年連続3着という。
いまだに破られていない特殊な記録持ち。
大きなレースに出走して
2着とか3着とか
良いところまで頑張るのだけど。
1着が取れない。
主役になれない脇役と知られた
銘馬?とでも言うべき
競走馬。
でも、
そんな馬が
多くのファンに愛されました。
ナイスネイチャが現役競走馬として活躍していた当時の
日本社会は、
ちょうどバルブ崩壊の真っ只中。
それまでの
狂乱景気が終了して
一気に信用収縮。
どこもかしこも資金繰りに行き詰まって
大会社は
リストラで定年前のサラリーマンが大量にクビを切られて。
自営業者も
銀行融資の貸し剥がし
財産を差し押さえられて
仕事がなくなり、
返済もできなくなり、
『富士の樹海行き』とか
『飛びおり』とか
『踏切飛び込み』とか
そういう話題が
当たり前のように受け止められていた、
そんな世の中でした。
そういう時に、
戦っても戦っても勝てない、
けれども、
決して諦めずに次の戦いへ向かっていく。
闘志を失わずに
2着、3着、4着という結果を積み上げていく。
そんな
『雑草魂』とも言うべきタフな姿に、
見ている方が
勇気づけられ元気づけられ励まされた、
というか。
普段は
競馬なんて見たことがない人たちにも
愛された馬でしたねぇ……



そういう
前向きに力一杯生きていく姿は
競走馬を引退した後も続き。
同世代や後輩の他馬が消えていく中、
一年一年と歳を重ねて、
35歳。
ここ数年は
すっかり痩せ衰えて。
頭が大きく見えてしまう姿になっていたのに
驚いたことは
以前に書きましたけど。
それでも、
生きている姿に
私は
励まされていました。
でも、
それも
もう見られなくなってしまいましたね。



長い間、
夢をみせてくれて
ありがとう。

 

 

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個性派ナイスネイチャ死す 「眠るように」大往生35歳 伝説の有馬記念3年連続3着、重賞4勝

 認定NPO法人の引退馬協会は30日、ナイスネイチャ(セン)が死んだことを発表した。35歳だった。
 ナイスネイチャは父ナイスダンサー、母ウラカワミユキ(母の父ハビトニー)の血統。90年代に活躍した個性派ホースで、91~93年の有馬記念3年連続3着は語り草となっている。通算41戦7勝で、重賞4勝を挙げた。
 01年の種牡馬引退後は「引退馬協会」の“広報部長”として協会の活動に貢献。協会は引退馬支援の輪を広げようと、17年にナイスネイチャの誕生日(4月16日)に合わせて募金活動「ナイスネイチャ バースデードネーション」を開始。35歳となった今年の募金額は、過去最高の約7400万円に達した。
 けい養先の浦河渡辺牧場ツイッターによると、今月に入ってナイスネイチャは食欲が落ちたが、27日には3日半ぶりに青草を食べたことが報告されていた。
 引退馬協会は公式サイトで、「同馬は体調を崩してから、放牧地ではもちろん馬房でも一度も寝ていませんでしたが、11時半頃に渡辺牧場の放牧地で自ら横たわり、そのまま立てなくなりました」「本日は朝から心拍数も上がり腸の動きも鈍化し、体力的にはもはや限界だったため、獣医師と相談の上、鎮静剤と麻酔剤を投与し苦しまないよう配慮の上、12時40分安らかに旅立たせていただきました」「相棒のメテオシャワーと渡辺牧場のみなさんに見守られ、眠るように亡くなりました」「同馬の余生を応援していただいた皆様、献身的に同馬をケアしていただいた渡辺牧場の皆様、獣医師の先生方に心よりお礼申し上げます」と報告した。