kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

日中韓米にしばし思う事2

さて、これからの書くのは昨日の思いつきの続きです。

かつて安倍晋三首相が口にした「戦後レジームからの脱却」という言葉。
私は、この「戦後レジーム」こそが、アメリカと中国の東アジア戦略的合意であり、
安倍晋三首相が唱えた脱却とは、日本独自のイデオロギーの確立と、中国、アメリカ勢力からの独立を意味したのではないかと思います。

では、このアメリカと中国の東アジア戦略がいつ始まったのかと言えば。
一九七二年のニクソン米大統領の歴史的な訪中。
その準備のため、当時のキッシンジャー大統領補佐官が、七一年十月に周恩来・中国首相と行った会談。
ここからではないでしょうか。つまり、アメリカと中国が国交を開いたときから、
両国は日本と朝鮮を二国間の緩衝帯として、経済、軍事面において分限支配することを取り決めたのですのよね。
最初は、日本の資本を使って中国国土の開発、社会インフラの整備を進めるところから始めて、
中国(と韓国、アメリカは韓国についていつかは中国に引き渡す交渉カードの一枚、という認識だったのでしょう)の市場が十分に育ったら、資本主義経済に移行し、アメリカの参入を認める。
という大きなガイドラインを決めて、動き出し。
それで、日本を上手に利用して中国市場を育てたところまでよかったけど。
アメリカが中国市場に参入するより先に日本が進出し、中国や東アジアを通して世界の富の集め始めてしまった。
そこで慌てたアメリカは、中国に圧力をかけてみたが、
(このアメリカがかけた最大の圧力が天安門事件だったのではないか、と思うのですよ)
うまく話がまとまらないので、
新たな枠組みを作って、日本が中国・アジアを通して世界の富を集める、
そうして日本に集まった富を金融産業を通して、アメリカに移動させるシステムを作り上げた。
そして、アメリカに流れてきた資本をレバレッジを利かせて何十倍にも膨らませて、
中国の商品を購入することで、中国にも資本を還元する。
これが、バブル崩壊からサブプライムローン問題が発生するまでの流れ、
1990年から2005,6年頃までのアメリカと中国の戦略だったと思うのですよ。

ところがここで一つ大きな問題が発生します。
日本がアジアを通して世界中から集めた資本の中でも最大といえる、日本政府の郵便事業が扱う簡易保険・郵便貯金
アメリカはこれに手をつけることができない。
小泉首相に命じて、郵政民営化を進め、金融自由化もやらせて、金庫のカギを開けるところまで進んだけど。
その後についた、安倍首相が郵政造反組復権させて、すったもんだしているうちに郵政民営化が凍結、となってしまう。
アメリカの計画では入ってくるはずだった資金がショートしてしまったため、レバレッジを利かせるタネ銭が不足し、
ウォール街が焦げ付き始め、サブプライムローンがきなくさくなってきます。
ここから、アメリカの日本に対する圧力が強まり、日本の政治が迷走し始めます。


というところで、妄想は続く。