kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

先の見えない体罰問題――柔道女子五輪代表らが監督、コーチの暴力とパワハラ告発

今日の気になるニュース。
スポーツ新聞では特ダネスクープ扱いで、1面大見出しでした。


柔道女子五輪代表らが監督、コーチの暴力とパワハラ告発 - MSN産経ニュース 柔道女子五輪代表らが監督、コーチの暴力とパワハラ告発 - MSN産経ニュース


朝のワイドショーでも大きく取り上げていました。
大阪市立桜宮高校での体罰事件から始まった「体罰騒動」は、ついにオリンピックのナショナルチームまで引っ張り出される事態に拡大しました。
一国を代表するトップアスリートまで、体罰に汚染されていたとは……
なぜこのような蛮行がまかり通っているのか。その原因の一端を如実に示している記事がありました。


【柔道代表暴力問題】難しい「指導」の線引き 「情熱だけでは…」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース 【柔道代表暴力問題】難しい「指導」の線引き 「情熱だけでは…」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース 【柔道代表暴力問題】難しい「指導」の線引き 「情熱だけでは…」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース このエントリーをはてなブックマークに追加


上にリンクした、第一報「柔道女子五輪代表らが監督、コーチの暴力とパワハラ告発」を受けて、
同じく産経新聞から後追いで出てきた時事ネタ批評コラムです。
ざっと読んでみると――???と首をかしげる内容ですね。

タイトルでは『難しい「指導」の線引き』と銘打っていますが。いったい何が難しいのか。
なぜか、「指導」と称して「暴力を行使」すること前提で、今回の事件を評価しています……えぇっ!? それ、根本的におかしいでしょっ!?
コーチは、「暴力」を使って「指導」することが当然なのですか?

経験から出る結果を科学的に分析し、その内容を論理的に説明して、選手に実践させる。
「指導」とは、そういうモノではないでしょうか?
成功した時の感覚と経験だけで、ゴリ押ししようとするから。選手は理解できず、指導について行けない。それでも実践させようするから、暴力による強制が必要になっている。

今回の問題は、それだけのことですよ。簡単じゃないですか。
それを誤魔化そうとするから、訳のわからない理屈になるわけで。
……産経新聞の記事は、誤魔化すどころか、出発点の認識から間違っているので。明後日の方向へ突き進みまくり、遙かナナメ上の内容になっているのですけど。
ただ、こんな記事が出てきたのも、
現場=この場合は、柔道全日本チームの関係者ですが。彼らに取材したときの空気が、「暴力の行使が大前提」だったので。こんな記事に仕上がったのかもしれませんね。
だとすると、この問題はよほど根が深いことになりますね。

そして、日本代表がオリンピックで勝てなかったわけも。分かった気がします。
他人から強制されたこと、って。いざ試合場に立たされて、ひとりで考えなければならない場面では、応用が利かないのですよ。
身体に機械的に覚え込まされた技術を、繰り返し再現することは可能ですけど。それで終わってしまって。そこから先に発展しないのですよね。
なぜなら、理屈を理解せず、ただ反復しているだけだから。同じ動作の繰り返ししか出来ないわけです。
そんな選手が、世界のトップに立てるわけないですよねぇ。
反復練習したツボにはまれば勝てるかもしれませんが。それ以外ではテンでダメって……ロンドンオリンピックは、まさにそんな感じでしたよね。

国民の税金をムダにすることは、やめてもらいたいなぁ。

追記:
私は「原則体罰禁止」派です。
体罰」を用いた躾も容認しません。
別に暴力を用いなくても、「罰」を与えることはできますから。「罰掃除」とか、暴力以外で負荷を与える手段は、いくらでもあるはずです。
なのに、どうして「暴力」を選ぶのか。そこに合理的な理由が見出せません。

自発的意思を持たない相手を、無理やり調教しようとしている、としか思えないのですよね。
そういう指導・教育を許容するかどうか。「体罰」を容認するのかしないのか、の価値観の違いは、そこにあるのではないか、と思います。
※逆に言えば、対象の自我が一定水準以下で未熟な場合には、暴力を用いた調教が必要、ではないか。と思っています。


一国民が行使することを許されている暴力、「正当防衛」の場合とか。
「犯罪の現場に直面した場合において、現行犯逮捕するための力の行使」とか。
それは誰でも許されている権利なのだから。
体罰」とは明確に区別されるべき事項だと思います。