学生時代に教育学をかじった者として、ちょっと気になる話題。
デジタル教科書:大手12社が専用閲覧ソフトを共同開発− 毎日jp(毎日新聞)
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デジタル教科書:大手12社が専用閲覧ソフトを共同開発
2013年09月05日
教科書会社大手12社は5日、教科書をデジタル化して電子黒板やタブレット型端末に表示するための閲覧ソフトを共同で開発すると発表した。12社で必要な機能を検討し、教員、児童生徒が使いやすいように基本的な操作方法を統一する。日立ソリューションズが製品化し、各社に販売。各社がそれぞれ教科書のデジタルデータや動画などを組み込む。開発のためのコンソーシアム「CoNETS(コネッツ)」(代表:常田寛・光村図書出版社長)が同日、13社で発足した。
小学校の教科書が改訂される2015年4月に合わせて小学校版を完成させる予定。中学、高校版も順次、対応する。電子黒板に表示する教員用のほか、児童生徒が使うタブレット端末向けも開発するという。14年中に小学校での実証授業も検討している。
教科書各社は、教員向けに教科書をデジタル化して販売しているが、閲覧ソフトはそれぞれ独自に開発している。そのため、特に全科目を教える小学校の教員から、操作法や機能が違って使いにくいという意見が寄せられたという。デジタル教材の導入で先行する佐賀県や大阪市内の学校が採用している教科書会社を中心に、基本的な機能を統一できないかという声が上がり、コンソーシアムの発足につながった。閲覧ソフトの開発負担も減らし、市場拡大を目指す。12社以外の教科書会社にも参加を呼びかけていく。
コンソーシアム参加企業は以下の通り。
大日本図書▽実教出版▽開隆堂出版▽三省堂▽教育芸術社▽光村図書出版▽帝国書院▽大修館書店▽新興出版社啓林館▽山川出版社▽数研出版▽日本文教出版▽日立ソリューションズ
【岡礼子】
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最近とみに急展開となってきたデジタル教科書の普及ですが。
まず、私の立場をはっきり書いておくと。賛成派です。ただ、費用対効果がいかがなものか。とひっかかる点もありますが。
児童家庭に負担がかからないのなら、どんどん進めればいいのではないか、と思います。
とまれ、大事なのは教育現場に高度に発達した情報処理技術の成果をフィードバックして、教育効果を高めることであって。
デジタル教科書は、そのための一手段にすぎないんですよね。
その手段の部分だけが勝手にひとり歩きしてしまっている現状には、大きな不満と不安を感じます。
大事なのは、
大量の情報をスピーディーに処理できる環境を、学校教育制度の中に整備すること。
これなのですよ。教科書は、単に情報端末を生徒に持たせるための口実にすぎません。
──いや、もしかしたら。審議会の委員さんの認識は違うのかもしれませんが。だとすると、「言葉に引っ張られて、方向間違っているんじゃない?」と、行く先をますます危惧するのですけど。
今の学校教育で生徒が扱う情報の量は、紙に印刷された単位しか存在しないのですよ。
しかも手段は手渡し。
これ、現実社会と比較してものすごくいびつです。
たとえば学生が毎日、当たり前のように消費している楽曲のデータ。これの何分の1のデータ量ですか。
今の学校教育制度で扱える情報のキャパシティーは、それだけしかありません。
大量の情報を瞬時に処理して必要な情報を取捨選択し、判断する、という発想が教育現場にないんですね。
完全に現代社会から取り残された、情報過疎地帯と化してしまっています。
一部の危機感を持った人たちは、個別に研究を進めていますけど。彼らの存在はマイノリティで、主流ではありません。
高度な情報化社会の中で、教育現場だけが蛸壺にこもったような前時代的教育を繰り返している。
従来からの教育者は進歩もなく楽な仕事ですけど。それでいいのですか? ってことなんです。
問題は、教科書ではなくて、教育者の意識の方。
情報化社会にマッチした教育とは何か、というカイゼン要求が出てこない、そこなんですよ。
というわけで、この人の議論もちょっと歯がゆい思いで見てます。