なんというかね……
今の自民党一強体制が、「大政翼賛会」的だ…って昨年かその前くらいから、
野党とか政権批判に熱心なマスコミ、コメンテーターから、盛んに喧伝されているのですけども。
お前ら、
日本の歴史、戦前のあの時代をきちんと調べた上で、
それを言っているのか?
って、物凄く腹立たしくなります。
私だって、詳細に調べたわけではないです。
けども、
20代から、かなりこの時代にはのめり込みました。
「負けると分かっていた太平洋戦争をどうして始めたのか」
この答えが知りたくて、
当時の記録というか、日記とか手記とか、回想録とか、
手に入る物は、目を通してね。
「機密日誌」とかの有名所から……いろいろとね。
で、
結局、今に至るまで、いまだに何が原因なのか良く分からないのですけども。
ただ、時代の空気みたいな物は、かなり理解したつもりです。
それで、
「大政翼賛会」と今の自民党を「長いものには巻かれろ」的な空気で、
一纏めにして語る人達を見ると、
もう腹が立つというか、胸くそ悪くて仕方がないです。
いやもうね、
1940年代の日本が、いまと同じに語っていいわけないだろ。
「大政翼賛会」とかだって、
「勝ち馬に乗り遅れるな」みたいな標語で語られるけども。これ負け惜しみだよ。
実際には、
参加しなかったら。待っているのは『死』…ほんとうに肉体的な『死』のリスクだから。
「大政翼賛会」に至るまでの10年の間に、
首相が何人も暗殺されているのですよ。
大臣も殺されているし、
高級軍人も殺されているし、
役人だって、捕まったりしている。
そんな
生きるか死ぬかのリスクに晒される毎日を、
大きな権力によって守って貰うために、みんな参加しているのですよ。
それが、実情……というか、その当時の実感じゃないですか。
……まあ、
これは私が感じたことなのですけども。
というのも、
大義名分=当時の政府が主導する政策に賛成しない人、
国会議員だろうが、
軍人だろうが、
役人だろうが、
皆、命の危険を感じているのですよ。
常に誰かに尾行されている、というか。当時の手記とか日記とかに、
そういう記述が頻繁に出てくるのですよね。
「自分は暗殺されるのでは…」って毎日、そんな恐怖を感じながら生きているんですよ。
この時代の、
国家指導層って。
「勝ち馬に乗り遅れるな」って言葉の裏には、
「乗れなかたっら殺される」ってニュアンスがあるんですよ。
まず、
殺されないで生き抜くために、なんらかの策を講じておかないと、
生き残れない。
いま自民党にすり寄っている人達はたくさん居ますけどもね、
今の日本で、
そこまでの危機感をもって、
「明日には殺されているかもしれない」ほどの恐怖を抱えながら、
自民党にすり寄っているんですか。
……そうじゃないでしょ。
次の選挙に落ちて、権力を失う、とか。
スポンサーが離れて、職がなくなる、とか。
その程度の話じゃないですか。
出直したらなんとかなる話ですよ。
『死』の恐怖なんてどこにも見えないじゃないですか。
それをどうして、
戦前の、あの殺伐とした時代と同一視、できるのか。
本当に、腹立たしく思います。
ただ、
このまま、自民党というか、今の政府が絶対視されるようなら、
それは、
私も危険だな。と、
そうなったら、
「大政翼賛会」的だな。と思いますよ。
でも
沖縄は好きかってやってるし、
与党議員も野党議員も、露骨に前言翻して、好き勝手な持論を述べているじゃないですか。
「お前がそれを言うか」的な発言繰り返してね。
「大政翼賛会」は
「右と言ったら右、それ以外は認めない」的な空気の、
最終到達地点ともいえるべき、
歴史的成果ですよ。
前の発言を翻すことなんて許されない時代の中での出来事です。
それと、
何がどう同じになるんですか。
って腹立たしく思うわけです。
追記:
個人的には、
今の時代の空気を過去の日本に求めるのなら、
「シベリア出兵」前後の、
ちょうど日本が、明治政府になって、
初めての好景気を体験して、成金がたくさん産まれて、
その社会がピークアウトする。
この当たりが適当ではないかな。
と。
それまでの上手く回っていたはずの仕組みが、
すべて「負債」に逆転してしまって。
それも、
日本国内、での原因ではなくて。
むしろ国外の環境が変わって事によるところが大きくて。
国内の改革だけではどうにもならない。
だから、
日本は、
国外に答えを求めて、
海外=中国大陸の市場を取り込むことを画策して、
その後、
大陸へ打って出ていくのですけども。
これが、
そのまま太平洋戦争まで続いてしまうのですが……
このあたりの時代背景と比較するべきではないのかなぁ。
と感じますけどもね。
追記2:
あと、もう一つ、
これは日本の歴史教育に対する苦言なのですが、
そろそろ「戦前」という呼称をやめて。
「帝国末期」とするべきではないかと思います。
そして、「戦後」は「民主化後」と呼ぶべきだと。
どうも、
日本の歴史を例に引き合いに出す人達は、
戦前、戦後で、
君主制、と民主制。
貴族制度あり、なし。
の大きな違いがあったことを、すっ飛ばして地続きで語る人が多いので。
これは、
「戦前」「戦中」「戦後」と地続きの感覚でこの時代を扱っている、
教育による悪影響が大きいかなぁ。
次の世代は、
戦後100年にもなろう、か。という時期ですので。
そろそろ、
きちんとした歴史認識にそって語られるべきじゃないかな。
「明治時代」のことを「倒幕後」とは言わないわけですよ。
でも、
太平洋戦争前後については、
いまだにずっと、「戦前」「戦中」「戦後」で、通しているのですよね。
もう、ここが日本の政治史・社会史にとって、
大きな変化、国体の変化があったことをはっきりと認めるべき、時期だと思うのです。
多分、
それによって、「日本人」が国内外できちんとした評価を得られると思います。
というか、
付け足しておくと。
これは、私みたいな一趣味人が語ることではなくて。
本来、日本の歴史学者が語るべき事柄なわけですよ。
それが、
これまで大きな声になっていない。
それだけ見ても、
日本の歴史学会がいかにクズなのか……
というか現実から浮世離れした存在なのか、が分かろうというものです。
「平和教育」とか「慰安婦問題」に血眼になるのはいいけどさ。
「歴史教育云々〜〜」言うなら。
もっと、不変的というか、本質をついた問題意識を持てよな。