kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

戦後70年「安倍談話」によせて思うこと――(社説)戦後70年の安倍談話 何のために出したのか

安倍談話が出てから、至る所で批判の言が出たりするのですけども。
なんか違うなぁ……と思うのですよ。
その「なんか」っていうのは。
下にブックマーク貼った、「朝日新聞」の社説などもそうなんですけども。
安倍談話への批判って、批判というよりも「愚痴」にしか聞こえないんですよね。
はっきり言えば、安倍談話が不満なら、新聞社とか大手マスコミぐらいなら、朝日新聞戦後70年談話を出せばいいんですよ。
そこで、
「南京城攻略大勝利!」とかとか
中国侵略を肯定した、日本軍の戦闘を支持した記事をいっぱい書いて、中国の人達を苦しめる日本政府の手助けをしました。申し訳ありませんでした。
と、個々に謝ればいいんですよね。
なにも、すべての責任を日本政府が出す談話に押しつけないで、
個人や企業で行動を起こせばいいんです。
……というか、そういう記事を終戦の日なりに、過去を反省して出さないのがおかしいだろ。
朝日新聞とか、
読売新聞とか、
日本の大手マスコミは戦前、国民を戦争へ送り込む記事をたくさん書いて、
アジア侵略の片棒担いでいたんだから。
毎年、それを謝罪してないのがおかしいんですよ。
日本の軍国主義を推進した当事者の一部だったんだから。
まず、
政府を批判する前に、やらなきゃいけない事があるはずなんですよ。
「まったく関係ありません」みたいな態度で政府を批判するは無責任すぎます。


こういうマスコミの無責任な態度に顕著に表れているのですが。
誰かのせいにして、自分の責任を他人に転嫁することばかり続けていると、
日本はまたも戦争を起こすだろう、と。思います。
これは、
今回、朝日新聞を例に挙げましたけども。
国民ひとりひとりが、向き合っていかなければならない事だと思うんです。
で、
安倍談話への批判、の話題に戻りますけども、
いま巷に溢れている安倍談話への批判は、
では翻って批判者本人が、日本の戦争責任についてどう向き合うのか、
その点がまったくないまま、
これは談話を支持する人でもそういう傾向があるのですけども、
つまり、
日本国民として、当事者として日本の戦争責任についてどう向き合うのか、
その中身がまったく見えないで、
支持するなり、
批判するなり、
他人事として安倍談話を受けとめている人が多いなぁ。と。
これは、日本人としてダメだ、と。無責任、だと思うのです。


日本の戦争責任を歴史の中から消そうとしているのは、
日本政府だけじゃないですよね。




(社説)戦後70年の安倍談話 何のために出したのか:朝日新聞デジタル (社説)戦後70年の安倍談話 何のために出したのか:朝日新聞デジタル

(社説)戦後70年の安倍談話 何のために出したのか

2015年8月15日05時00分



 いったい何のための、誰のための談話なのか。
 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。
 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。


 ■「村山」以前に後退
 談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。
 日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。
 一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。
 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
 それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。
 日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。
 おわびについても同様だ。
 首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。
 確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。
 政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。


 ■目を疑う迷走ぶり
 謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。
 それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。
 安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。
 そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。
 それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。
 この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。
 そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。
 それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。

 ■政治の本末転倒
 国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。
 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。
 最たるものは靖国神社戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。
 慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。
 出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。
 いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。
 その責めは、首相自身が負わねばならない。

追記:
こっちでも、似たようなこと書いてます。
こっちは、談話が出る前ですね。
だから、マスコミの劣化は談話で始まった、談話が出たから気になったことじゃないんです。


>あいかわらず嘘吐きのマスコミ――「終戦の日」が迫って思うこと、感じる事。
http://d.hatena.ne.jp/kg_nogu/20150813#1439426256