kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

因果応報自業自得 ―― 小山田圭吾さん辞任、開会式で楽曲は使用せず

先週、
プチ炎上していた
東京五輪2020開幕式などのアトラクションで使われる
楽曲を提供していた
アーティストが
過去にイジメを誇るインタビュー記事掲載
の件。
開会直前になって
それまで
ずっとこの問題を無視し続けてきた
当人が謝罪して
その謝罪を受けて
大会組織委員会が『問題ナシ』と判断。
それで
『幕引き終了』しようとしたのですが……
終わりませんでしたw
そこから
さらに炎上というか大炎上w
記事を掲載した
雑誌の出版元も謝罪、
それでも
炎上は止まらず、
海外にも飛び火しそうな状況にまで発展。
それで、
当人が辞任を申し出て
大会組織委員会
申し出を受け入れて
このアーティストを
東京五輪2020の大会関係者から除名しました。



とまあ、
お粗末な結果になりましたねぇw
とはいえ、
日本の企業文化的な
視点から
今回の
大会組織委員会の対応を
考えてみると。
『まあ、こうなるよネ』と
納得できる動き、対応なんですよね。
だいたい
こう言う
『組織とは直接関係ない個人の過去不祥事』が発生した場合。
組織が懲戒出来る内容ではありませんから。
普通は
『当人が辞退を申し出る』のを
待つんですよ。
それが
当人のキャリア的には一番傷が付かないので。
組織委員会
『ふさわしくない』と判断して
外す形になると、
当人のキャリアを社会的に否定した、
って結果になってしまいますから。
これが
当人が認めて辞退した場合、
組織側には
『ふさわしくないとは思ってないけど
 当人がそう言うなら仕方が無い』
と、
キャリア判断には触れずに済ませることが
出来るんですよね。
それが
今回の場合、
組織委員会が引っ張ったのか、
それとも
当人が辞退を嫌がったのか、
そこは不明ですが。
問題を
『先送り』してしまいました。
先送りと書いたのは、
こういう不祥事発覚の謝罪対応には、
『謝罪』と
『被害者への対応』と
『再発防止』
この3点セットが必須なんです。
でも
今回の場合
『謝罪』と
『今後の再発防止』への意志が述べられただけで。
『被害者への対応』には
いっさい言及がありませんでした。
まあ、
雑誌インタビューの内容が
リアル事実なのかフィクションなのか曖昧ですし。
それならそれで
フィクションでしたと告解すれば良かったんですよね。
仮に
記事に話した内容が
事実であって
被害者が存在した場合、
今から30年近くも過去の出来事で
相手がどこの誰だかも知らない、
それで
今更どう対応するんだ、って難問というよりも
現実解決手段が見当たらないので
どうしようもない。
って
そういう考えだったのかも知れません。
でも、
この問題は
今回は突然出来てきた話では無くて、
今から10年以上も前から、
雑誌記事について知る人達から指摘されてきて。
NHKへの出演についても
問題視されてきたんですよね。
雑誌記事を読んだ人達が
当人へ批判意見を
何度も送っていたのですけど。
全部無視されてきた、
という。
そうやって
ズルズル無視してきた
『歪み』が
東京五輪2020という国際的な一大イベントの場で
一気に噴き出した、
と。
雑誌記事掲載に関する当人の対応を
ここまでの経緯を見ていくと
擁護できる部分が皆無なんですw



その上で
問題を抱えたこの人の起用にこだわるのなら、
『この人でなければならない』
という
その理由を提示するべきだったのですが。
それも
有りませんでした。
ただ、
『問題ナシ』との判断が提示されただけ。
結局、
判断を誤りました、
という話になって。
グダグダな結果になりましたw
まあ、
為るべくしたそう為りました、
という結果ですw

 

 

www.yomiuri.co.jp 

小山田圭吾さん辞任、開会式で楽曲は使用せず…組織委「我々の判断が甘かった」

 東京五輪パラリンピック大会組織委員会は19日、五輪とパラの開会式に楽曲制作で参加していたミュージシャンの小山田圭吾さん(52)から五輪・パラ両方について担当辞任の申し出があり、受理したと発表した。組織委の武藤敏郎事務総長はオンライン形式で取材に応じ、「小山田氏の楽曲は開会式で使用しない」と述べ、早急に演出チームで対応を検討するとした。
 組織委によると、小山田さんは五輪開会式のオープニングで映像に合わせて流される約4分の音楽の作曲を任されていた。
 小山田さんは過去の雑誌インタビューで、自身が学生時代にいじめ行為を行ったと語ったことが問題視され、16日に謝罪したが、批判の声が収まらず、ツイッターに「楽曲参加につきまして、ご依頼をお受けしたことは、様々な方への配慮に欠けていたと痛感しております」と投稿。辞任の意向を表明し、「誠に申し訳ございませんでした」と改めて謝罪の言葉も載せた。
 小山田さんはユニット「フリッパーズ・ギター」で1989年にデビュー。小沢健二さんとともに活躍した。91年の解散後は、ソロ・プロジェクトコーネリアス」を中心に、国内外で活動していた。
 武藤事務総長は17日、小山田さんの謝罪を受け入れて引き続き起用する考えを示していたが、19日に「行為が謝罪だけで許されるものではない。我々の判断が甘かったと反省している」と方針転換の理由を説明した。

 

 

www.ohtabooks.com 

Quick Japan 第3号』掲載の小山田圭吾氏記事についてのお詫び

1995年刊『Quick Japan 第3号』は「いじめ紀行」というシリーズの第一弾として小山田圭吾氏へのインタビューをもとにした記事を掲載しました。この記事が、表現方法、記事の影響についての思慮そして配慮が足らないままに世に出たことにより被害者の方をはじめ多くの方を傷つけたことを深くお詫びします。
「いじめ紀行」は、取材者自身がいじめられた体験があることから、いじめられた側だけでなくいじめた側からも話をきくという趣旨で「いじめた側といじめられた側の対談」として当初発案されたものでした。この第一回で小山田圭吾氏は自身の体験として障がいを持つ方へのいじめを告白しています。
現在、この小山田圭吾氏の一連のいじめ体験についての告白が大きな批判を受けています。当時のスタッフに事実・経緯確認を行い、記事を再検討した結果、この記事が被害者の方を傷つけるだけでなく差別を助長する不適切なものであることは間違いないと判断しました。この検討は出版後26年を経てのものであり、この間、2012年にはいくつかの号が復刊される機会があり、この第3号も100部の復刊を行っています。最初の出版段階での判断のみならず、その後再検討のないまま時が過ぎたことも、出版社としてその姿勢が問われるものであると考えます。
今回の反省は、継続的に今後の出版活動を顧みる機会とするべきと考えます。『Quick Japan』のみならず、弊社の出版活動全体を改めて再検討し、その都度振り返ることにより同じことを繰り返すことがないように努力してまいります。

2021年7月19日
太田出版社長・岡 聡