今回の宮崎駿監督の引退会見に先立って、報道陣には引退声明文が配られていたようです。
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宮崎駿監督が6日、報道陣に配布した「公式引退の辞」の全文は以下の通り。
◇
ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。
もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。やらなければと思っていること−−例えばジブリ美術館の展示−−も課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。
それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
以上
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うーん……あと10年……
ここでは、10年と具体的な数字が出ていますが。これはあまり重要ではない、と個人的に感じます。
むしろ重要なのは、死期を明確に設定して、そこへ向けて人生終演のスケジュールを逆算している事。
「生きるか死ぬか」「人生の残り時間」を真剣に悩まなければならなくなった。そこが、非常に気になります。
死期をはっきりと意識せざる得ないような『何事』かが、あったということなのかなぁ。