kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

東京五輪2020エンブレムに関する個人的な感想まとめ――

以前にも、ブログに書いたことのある東京五輪エンブレムの問題なのですが。
改めて、やはりエンブレムを選定した大会組織委員の実務能力に問題があるのではないか、
との思いを強くしました。
以下、そのことについてまとめます。


まず前に書いた記事はこんな感じ、

>なんでこうなった――佐野氏デザインの使用中止を正式決定
http://d.hatena.ne.jp/kg_nogu/20150902#1441145170

この時は、
ネットで見かけた日本でのCIデザインの第一人者中西氏の批判記事に感銘をうけて、
なるほどと思い記事を書いたのですが……
個人的に胸にモヤモヤしていた、当該エンブレムに対する問題意識をプロの言葉で表してもらったので。
しかし、中西氏が指摘している「アンデンティティ・デザインの欠如」というのが、実際にはボンヤリとしか理解出来ていなかったのですね。いま思うと。
中西氏の訴えている危機感、というのが半分くらいしか理解出来ていませんでした。
そのことがはっきり判ったのがこの記事です。


よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?(深津貴之) - 個人 - Yahoo!ニュース よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?(深津貴之) - 個人 - Yahoo!ニュース


デザイナーの視点による、佐野氏の五輪エンブレム作成の制作思考トレスをまとめた記事です。
デザイナーが今回の五輪エンブレムが、自分のデザインの模倣として訴えを起こしている劇場のロゴデザインとはまったく異なるものである、との理由が書かれています。
この点について、
先に書いておきますが、私自身は両者がまったく別物だと認識していました。
というのも、発表された時に、隣にパーツを並び替えたシンボルが一緒に掲示されていたので、
今回の五輪エンブレムというのが、単体で評価されるものではなくて、
複数個並べて一連のテーマの中で解釈するべきデザインなのだろう、と思いましたので。
そうすると、単体で完結している劇場のロゴマークとはまったくコンセプト、意匠が異なるワケです。
ただ、この複数個のデザインを繋ぐ、バックグラウンドストーリーとなるコンセプト、テーマがこれまでまったく説明されていない。この事にはずっと首をかしげていました。
そんな時に、中西氏の記事を読んで、
中西氏の訴える「アイデンティティ・デザインの欠如」との言葉を見つけ、バックボーンストーリーが無いのか、程度に納得していたいですが……
現実はもっと酷い内容だったのですね。
それが上にブックマークを貼った、
デザイン作成のプロセスを読み解く記事を見て、納得というか愕然としました。


今回のエンブレムデザインの制作プロセスをデザインの門外漢でもそれなりに理解出来る非常に丁寧な記事です……
そして、理解出来てしまった故に、。
よくこんなデザインをエンブレムとして選んだものだと愕然としたのです。
おそらく中西氏も同じ気持ちだったのではないか、だからわざわざブログ記事を書いて苦言を呈したのではないか、と思います。
日本でのCIデザインの第一人者である中西氏の記事を読んだ時に、氏が訴えていた「アイデンティティ・デザインの欠如」これはエンブレム制作プロセスをデザイナーの思考で追っていくと、中西氏の主張がよく理解出来ます。
佐野デザインの評価のポイントだった、『展開力』というのは、技術的な問題であって。
そのエンブレムが何を訴えているのか、「エンブレム」という言葉の意味である抽象的な概念の具現化になんら寄与するものではありません。
しかもエンブレムを展開をさせる、ということはパーツとしてバラバラにするということであって、エンブレムデザインそのものが訴えるイメージを破壊する、という事です。
それを選者が高く評価してエンブレム選定のポイントになった、というのは、
エンブレムが表現するイメージには価値がない、ということを選者が認めてしまっている。ということに他なりません。
バラバラに並び替えて別の形に出来る事が評価されているのですから、本末転倒です。
それでも中西氏が主張する「アイデンティティ・デザイン」として、
バラバラのパーツになったモジュールの一つ一つを全体の一部として繋げるパーツとして意味がそこに何かしら込められていたら、東京オリンピックのエンブレムとしての統一感を感じる事も出来たかもしれません。
けれども残念ながら、佐野氏がデザインしたモジュールは、まさに「ブロック」であって。そこには何の意味も感じられません。中西氏が危機感を抱き訴えていたのはまさにその点だったのですね。
「意味の無いブロックに出来るデザインをエンブレムとして高く評価してどうするんだ!」と。



今さらですが、やはり組織委員の実務能力に大きな問題があると思います。
人員を刷新しないと、大会の成功は難しいのではなかろうか。と改めて思う記事でした。

そこで、この問題については、
次回、個人的に、
では東京五輪エンブレムはどうしたらよいのか、
選定の方法とかではなくて、デザインというかエンブレムが主張するテーマとして、佐野氏のデザインではすっぽり欠けていたものについて何をもってきたからいいのか、
そこを
本当に個人的な意見ですがまとめてみたいと思います。