kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

昭和は遠くなりにけり――北の湖理事長死去

リアルタイムで、テレビで相撲をとるところ見てた世代です。
朝潮とか、高見山とか。
大型力士とがっぷり四つに組み合って、えっちらほっちらやってましたねぇ。
ただ、子供の頃の記憶なので、
取り組みの内容はよく覚えていません。
大きな身体が勢いよくドシンとぶつかっていくシーンが印象に残っています。
千代の富士の前に立ちはだかる大きな壁。というイメージが最も強いですね。
最近は名前を見かけるのは解説ばかりでしたけども、
一時代を築いた人でした。
昭和の空気を作った人がまた一人亡くなった、と思うと。感慨深いモノがあります。
つくづく、歳をとったのだなぁ。と。

ご冥福をお祈りします。


【北の湖理事長死去】朝青龍「悲し涙が止まらない」 土俵に生涯捧げた大横綱悼む(1/3ページ) - 産経ニュース 【北の湖理事長死去】朝青龍「悲し涙が止まらない」 土俵に生涯捧げた大横綱悼む(1/3ページ) - 産経ニュース


2015.11.21 10:20更新
朝青龍引退断髪式でハサミを入れる北の湖親方=2010年10月、両国国技館(撮影・千村安雄)


 24度の優勝を誇る昭和を代表する大横綱として、次々と課題が持ち上がる日本相撲協会のトップとして、角界に一時代を築いた北の湖理事長が20日、62歳で亡くなった。その圧倒的な強さから、現役時代はライバル横綱輪島ら人気力士に対する「敵役」や「憎まれ役」とされることも多かったが、真摯(しんし)に相撲に向き合う姿は多くの相撲ファンの心を打った。関係者は、生涯を土俵にささげた益荒男(ますらお)の死を悼んだ。
 両国国技館から南に約2キロ。東京都江東区北の湖部屋は、九州場所で関係者が福岡市に滞在中のためか、電気も消え静まりかえっていた。それでも部屋の前では通りかかった人々が手を合わせ、部屋の主の冥福を祈る姿が見られた。
 墨田区の会社員、菊地裕章さん(57)は現役時代、けがで不調が続いた後に優勝を果たした際、部屋近くの路上で北の湖を見かけたときのことを覚えているという。「『おめでとう』って声をかけたら『おおきに』なんておどけていて2人で抱き合った。あの姿が忘れられない」
 故郷、北海道壮瞥(そうべつ)町で暮らす姉の小畑やす子さん(67)は「正義感が強く、親切で優しい弟だった。涙なしには語れません」と話した。北の湖理事長は今年8月に壮瞥町へ帰省した際、がんで闘病中だと後援会のメンバーに明かしていたという。「頑張り屋の一面があるので、治療しながら我慢して大相撲の仕事を続けていたのだろう。弟は私の誇りです」

     

 北の湖理事長と縁の深い関係者は驚きを隠せない。
 「大ショック。現職の理事長が本場所中に亡くなられたということは、相撲界にとっても大変なショックだと思う」と話すのは、元NHKアナウンサーで東京相撲記者クラブ会友杉山邦博さん(85)。平成19年に当時の横綱朝青龍が問題行動を起こした際、日本相撲協会の権威を傷つける発言をしたとして、北の湖理事長に取材を一時制限された経験を持つ。「当時は最も難題を抱えて苦悩しておられた時期。人柄は本当に全く裏のない正直そのものの人でした」

 その元朝青龍、ドルゴルスレン・ダグワドルジさんは20日、ツイッターにこう書き込んだ。

 《悲し涙が止まらない!昼に連絡して電話出なかた!部屋付き親方と話した!命まで大丈夫と安心したけど!悲し涙》

     

 好角家はかつての名横綱の姿を思い出した。
 北の湖理事長と親交があり、相撲に造詣が深いアーティスト、デーモン閣下は「非常に強い力士で、輪島や貴ノ花らライバルとしのぎを削り、手に汗握る取り組みが毎場所繰り広げられていた時代を、代表力士として引っ張っていた。横綱って強いんだ、と印象づけた」と振り返る。

 「若いときから『この人は横綱になる』と思っていたそのままに、とんとん拍子で横綱になっていった。ふんぞり返って歩く姿はふてぶてしく映ったが、逆にその姿が頼もしかった」と懐かしむのは日本相撲協会の外部委員も務めた漫画家のやくみつるさん。「最近はかなり体調が悪かったとうかがっていたが、いかにも急すぎる」と話した。