kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

続・もう少し戦争を勉強してください ―― 真珠湾攻撃から80年・・・103歳元搭乗員語る

この件で、
炎上した番組インタビューの場面を
テレビ局が文字起こしして
ニュース記事にしたものがありましたので。
そちらにもブックマークを付けてみました。



それで、
私なりに
今更ながら
色々と
書籍なんかも調べてみたんですけど。
今の令和時代、
太平洋戦争関連の書籍って。
当時の生の声を伝えるものが、
全くないんですね。
昭和時代にはゴロゴロあったし、
平成に入って、
つい数年くらい前にAMAZONで検索した時も、
古本のタイトルが
パラパラ検出されたんですけど。
今だと、
そういうものが全く
出て来ない。
時代が令和に移り変わって
売れないから処分されてしまったのか。
誰かの手元に引き取られていったのか。



私は、
第二次ベビーブーム世代に当たるのですが。
多分私たちが、
『戦後昭和』を肌で体験して大人になった、
最後の世代じゃないかな。
ちょうど
昭和天皇崩御から平成に移り変わった年に成人を迎えていたりして。
戦後40年とかの節目の時に、
昭和の戦争を総括する、
そういう
数々のドキュメンタリーとか。
記録映像とか。
特集とか。
さらに言えば、
リアルな戦争として
湾岸戦争』も体験していますし。
そういう
戦争に関する
諸々の情報を
大人として
社会人として
一国民として接してきている、
ギリギリの世代なんですよね。
私の年齢って。
これが
私より下の世代になると、
学生であり、
子供時代の体験になってしまうんですよ。
このジェネレーションギャップは、
実は
かなり大きい『格差』というか『隔絶』になっているのではないか、
と。
最近、
そんな風に感じるようになってきました。



それで、
戦争に関する見解、
以下、
私見を書いていくのですけど。
『戦争』って
調べていけば行くほど。
『善悪』『正誤』での評価が
出来ないんですよ。
政治決断には、
その結果に到る過程まで含めて、
数式みたいに
『正解』という評価は存在しないんです。
結果として、
そうなった、そうなってしまった、
という事実があるだけで。
過程には幾つものIFの選択肢が存在していて。
そんな
無数に存在する選択肢の中から、
戦争に到る途を選択した現実の決断が
常に
『正』であり『善』であった、
とは
断定出来ない。
けれども
『誤』あり『悪』であった、
とも評価出来ない。
政治決断に対する評価は、
場面場面では最適解だとしても、
トータルで通して見たら最適解になっていない。
という結果が当たり前のように出てくるので。
そういう『ファジーさ』を内包していて切り離せないんです。
だから
『正解』とも言えないし。
『間違っている』とも言い難い。
そういう物差しで測るのが無理なんですね。



ただし、
仮に
戦争を回避できる、回避できた選択肢があったとして、
それでも
もう一度戦争を体験したいか。実現したいか。と問えば。
100人中99人は
『二度と経験したくない』
『しないで済むなら回避したい』と答える程度に
感情での
『好悪』はハッキリ答えが出ています。
色々な証言とか記録を見てきましたが、
同じように
もう一度戦争をしたい、と。
そのように答えた記録は
私が見た中では一つもありません。
皆口を揃えたように
『二度としたくない』と述べています。
戦争の評価は、
理屈じゃないんです。
感情なんです。
戦争に対する強烈な『嫌悪』『忌避感』『恐怖』など、
ありとあらゆる負の感情
と言っても良いほどの、
否定的な感情なんです。
だから
戦争を風化させないために語り継ごうと思うのなら。
体験者から聞くべき言葉は、
負の感情の源泉となる体験に基づいた言葉なんです。
理屈や評価を尋ねることは
全くの無意味なんです。
記録としては
多少なりとも意味があるかもしれませんが。
研究者が
膨大な資料を収集して分析して評価して
それでも、
判断出来無い内容を。
学のない素人が体験者から話を聞いて
まともな判断なんて出来るわけが無いんですから。
でも、
感情を共有することは出来ます。
話を聞いて
共感するのは比較的容易く
誰にでも可能なんです。
だからこそ、
体験者に話を聞く意味、意義があるんです。



それでですね、
今回炎上したインタビューを見たら。
インタビューとしての評価を付けるのなら
零点ですよw
かろうじて
最後に戦争を忌避する生の声があって、
体験者の使命感みたいな語りがあって。
それで
10点付くかな。ってお粗末な内容です。
これじゃあ
見ていた視聴者には体験者の生の言葉は
ほとんど届きませんね。
アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?』
この質問に対する答えに聞いている側が共感するためには、
まず、
質問された兵士の境遇に対する認識が共有されていて。
戦場の実情を漠然とでも肌感覚で理解出来る、
そういう共通認識が出来た上で、ようやっと理解し共感できる内容です。
この前提をすっ飛ばして質問されても、
答えを言ったところで
言葉面を聞いただけで共感なんて全く出来ないだろう、ってのは、
体験者である兵士側は
これまでの経験から承知しているんですね。
戦場の非常識を、常識の中でしか生きた事がない人に言葉で伝えるのは難しい、と。
だからこそ答えに悩んだ。
そして
そういう彼の態度を見て、
視聴者も
この質問が全く無意味で不適切だと。
体験者の感情を共感、共有する流れの中で
役に立たない質問だ、と肌で感じてしまった。
その結果として、炎上した。
上記にまとめたような
戦争体験者にインタビューする意義、意味ついて
インタビュワー、番組制作者側が
全く理解していなかった
無知から
起きたと言えます。

 

 

www.ntv.co.jp

 

真珠湾攻撃から80年・・・103歳元搭乗員語る

吉岡政光さん103歳。
魚雷を落とす雷撃機の搭乗員として
真珠湾攻撃に参加。
当時23歳でした。
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「私が魚雷を落とした時間がですね
 日本時間の午前3時33分
 真っ白い水柱がこう浮かび上がってくる
 『ああ当たったぞ!』と」
 魚雷を落としたい、
 あてたいということしか考えてなかった」

80年前、
旧日本軍がアメリカ・ハワイを
奇襲した「真珠湾攻撃」。
その後に続く太平洋戦争の始まりとなりました。
この時、吉岡さんが乗っていたのが
97式艦上攻撃機
今回、その攻撃機の初期型のレプリカが
制作されている場所を訪ねました。

●櫻井
 「吉岡さん覚えてますか?」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「はい」

重さ800キロを超える
魚雷を抱え飛行した攻撃機

●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「ちょっと降ろさせていただいていいですか」

吉岡さんも実物大を目にするのは
80年ぶりのこと。

●櫻井
 「吉岡さん3人乗ってたんですか」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「3人です。私は真ん中に乗っていたんです」

吉岡さんが決死の覚悟でのった場所に実際に乗ってみると。

●櫻井
 「結構中深いですね、完全に逃げ場がない」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「入ったらもうそんなに体動かすことが
  できないですよ」

こうした攻撃機と共に向かったハワイへの奇襲。

●櫻井
 「真珠湾攻撃はどんな戦いでしたか」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「日本は飛行機の燃料なんかもみんな
 アメリカから購入してたはずです。
 どんな仲が悪くても
 アメリカと戦争するとは思わなかった。」

目的も知らないまま
攻撃機を載せた空母で出航した吉岡さん。
海の上でハワイへの奇襲を伝えられました。

●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「これから連合艦隊全部力を合わせてやると
 言われたので戦いに参加させてくれてうれしいなと」
●櫻井
 「うれしいなって?」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「はい、そう思ってたんですけどね
 これは大戦争でおまえたちは死んでくれ
 ということだなと要は決心しなくちゃならない。
 23歳の若造が死ぬということを決心する
 ということは大変なことですよ」

さらに。

●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 
「数日をすぎてから拳銃を一丁いただいたんですね」
●櫻井
 「なんでですか?」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「それはもしもの時の自決用の」

そして1941年12月8日、日本時間未明。

●櫻井
 「向かうときの気持ちは覚えてらっしゃいますか」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「機体から下をみましたところ『ハワイだ!』って。
 するとすぐに全軍突撃せよってなりました
 翼のちょっとの間を顔をあげたら
 白い洋服をきた兵隊がたくさんのっていた
 それをちらっとみながら
  操縦員が『よーい射て』って言ったので
 私がもっている魚雷を落とす投下索を引っ張って」
●櫻井
 「そういうときお気持ちはどういう」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「魚雷を落としたからには
 自分のは当たってもらいたいですよね。
 だからそればっかり一生けん命やって眺めて。
 魚雷があたったということで非常に安心しましたけど」


吉岡さんが放った魚雷でアメリカの軍艦ユタは沈没。
真珠湾攻撃では民間人を含むアメリカ人
およそ2400人が命を落としました。

●櫻井
 「戦時中というのはもちろんですけど
 アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「私は『航空母艦と戦艦を沈めてこい』
 という命令を受けているんですね。
 『人を殺してこい』ってことは聞いていないです。
 したがって命令通りの仕事をしたんだ。
 もちろん人が乗っていることはよくわかっています。
 しかしその環境というと私も同じ条件です。
 ですけどもそれとは切り離すと
 戦争はしちゃいけないということを
 一番身をもって知っているのは
 私たちだと思っています」

同じ空母に乗っていた仲間は
その後の戦いでほとんどが戦死しました。

終戦後100歳を超えるまで
この体験について
ほぼ話すことはなかったという吉岡さん。

●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「戦争の話をしますと顔を知った人が
  浮かんでくるんです。
  あれも死んだなこれも死んだなって
  思い出すもんですからなんとなく思い出したくなくて
 話してこなかった」
●櫻井
 「真珠湾から80年経つ今若い世代に
  伝えたいことはありますか」
●元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
 「戦争というのは一番人が死ぬんですよね
 戦争だけはやめた方がいいということは
 私たちが一番よく知っているんです。
 だから私の話を聞いてもらってね
 少しでも人が人を殺しちゃいけないということを
 頭の芯からおぼえるように
 助けになれればいいなと思っている」