なんというか、
こうするならさっさと決断しておけ、としか言いようがないですね。
一度突っ張ったなら、最後まで突っ張っておけ、と。それで死ぬのもヨシ、ですよ。
そういう覚悟がない、グダグダな仕事でした。
なんか、物凄くひどい事を書いているようにも見えますけども、
でも、オリンピックみたいな「世界の中のオンリーワン」を目指す世界、ってそういうものなんですよ。
他の全てを蹴落として、ただ一つの場所に付くことを目指すわけですから、
そうなってしまうわけですよ。
他の人を蹴落とした責任を背負って進むわけですから。
相応の理由がなければ、途中で降りることなんて許されないわけです。
それなら、最初から勝負の世界に足を乗せるな、と。
どうも今回の問題も含めて、
2020年東京オリンピック組織委員会は、グダグダすぎる、というか。
世界のオンリーワンを目指す、ということが具体的にどんな熾烈な世界なのか、
まったく理解していない、ように感じられて仕方がありません。
国立競技場の計画しなおし、の件でもそうなのですが。
組織委員会の人選が、おかしいんじゃないですかね。
個人的な感想ですが、
招致を勝ち取るための人材組織と、実行するための人材組織はまったく内容が異なるはずです。
前者はコネを重視した政治家型、
後者は実務を重視した実務家型、とでもいいましょうか。
で、実務型の人材の力量が世界規模の大会を仕切るのに、圧倒的に不足している、
そんな感じがしてなりません。
国内の大会を仕切るのなら今の陣容でも問題ないのですけども、
世界規模の大会には役不足、ということではないでしょうか。
これについて、
今のうちに改めないと、
この後、ズタボロになっていくように思います。
【五輪エンブレム見直し】佐野氏デザインの使用中止を正式決定 - 産経ニュース
2015.9.1 17:03更新
使用中止となった、佐野氏デザインの2020年東京五輪公式エンブレム
2020年東京五輪のエンブレムがベルギーの劇場ロゴと似ていると指摘されている問題などを受け、大会組織委員会は1日、佐野研二郎氏がデザインしたエンブレムの使用中止を正式に決定した。
エンブレムは五輪開幕まで5年となった7月24日に発表。ベルギーのリエージュ劇場のロゴを制作したデザイナーが「驚くほど似ている」と指摘し、劇場側は8月、国際オリンピック委員会(IOC)を相手に使用差し止めを求めて地元裁判所に提訴したと発表した。
追記:
やはり、トップランナーの世界で生きる人も、私と同じように感じる方が居ました。
同じように、というのは語弊があって、
さらに深く具体的に、何が問題なのか、トップランナーの視点で語ってくれているブログ記事です。
中西元男公式ブログ | 中西元男 実験人生: 2020東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
至極、まっとな意見です。
一部で「五輪エンブレム問題は、模倣社会日本の象徴」なんてバカな意見を唱えている人もいるけど。
そもそも、「模倣」と「コピー、トレス、パクリ」の違いすら判らないなら、偉そうに口出すな。と思いますよ。
今回のは、「模倣」ではなくて「コピー」常習犯だったことが問題視されて、結果エンブレムはとりさげになったわけです。
じゃあ、「模倣」の範囲に収まっていたらどうか、といえば、「模倣」した作品というのは、そこに、当人しか込められない意図と具体的な表現が込められているから、オリジナルとして認められるわけで、
あとはそこに込められた意図と具体的な表現がベース(素材)になった作品の表現をどのくらい越えているか。それで善し悪しが判断されます。
判りやすい例だと、マンガなんかがそうだけど。たとえば「北斗の拳」。
「ツボ」とか「拳法・流派」とか「マッドマックス的世紀末世界観」とか、既存の要素がゴロゴロしているのだけど。
「ツボを突いたら人間を爆発させる拳法家たちがマッドマックス的世紀末世界で死闘を繰り広げる」という表現はこれまで存在しなかった、そこにオリジナルが認められるわけですよね。
で、
翻って今回の五輪エンブレムのデザインはどうだったのか、といえば。
「模倣」を疑われている他のデザインと比べて何が違うのか、と言えばパーツを並び替えてロゴブロックみたいに別の形にできる、という点だけ。これだけの表現の差で別のデザイン、と主張できるのかと言えば「元のデザイン並び替えただけだろ」と言われてしまって大変苦しいわけです。
本来なら、エンブレムに佐野氏(東京五輪)の意図が明確に込められているべきで、その込められる意図というのは、ここで筆者が主張している東京五輪の大会コンセプトであるべきなんですね。
ということは、東京五輪2020のコンセプトは「並び替え」ってことでFA?
「レガシー」はどこへ行った?