これ、
夜7時のNHKニュースでも取り上げていましたね。
数日前に、
現場から少し離れた場所で一人見つかった、
という
ニュースが流れていましたので。
それが
手がかりになって。
残る御三方も
その後すぐに見つかるのかなぁ、と見ていたのですけど。
そう簡単には
行きませんねぇ。
現場の映像を見ると、
未だに土砂が山積みですし。
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復旧主体では無くて、
捜索目的だと、
重機をガンガン投入して。
問答無用で掘削、地ならし…………ってワケには
行きませんから。
どうしても人力頼みの人海戦術で。
数が揃わないと、
作業がろくに進まない。
これが、
国道とか国有地なら、
自衛隊を投入して
ゴリ押しも出来るのですけど。
私有地では、
税金投入して助けます、って
言うわけにも
行きませんしねぇ。
となると、
唯一の頼みはボランティアなのですが。
新型コロナ肺炎が
いまだに猛威を振るっているこのご時世ですし。
八方塞がり、みたいな。
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事故発生から
すでに2週間が経過して。
このまま
行方不明状態が続くと、
気持ちのもって行き場が宙ぶらりんになったまま。
区切りがつかなくなってしまう。
そんな
整理がつかない状況が続くのは
とてもつらいのですよねぇ。
私も、
家族を水難事故で亡くした経験があるので。
早く
区切りがつくことを願っています。
発生確認から2週間 捜索続く
09月21日 17時21分
台風10号の大雨で宮崎県椎葉村で4人が行方不明となった土砂崩れの発生の確認から、21日で2週間となりました。
これまでに技能実習生のベトナム人の男性1人の遺体が見つかりましたが3人の行方が分かっておらず、21日も川岸などで捜索が行われました。
宮崎県椎葉村下福良で今月6日に発生したとみられる土砂崩れでは、建設会社の事務所や隣接する経営者の自宅が押し流され、▽経営者の妻の相生勝子さん(68)と▽長男で専務の泰孝さん(39)、それにベトナム人の技能実習生の▽チャン・コン・ロンさん(23)と▽グエン・ヒュー・トアンさん(22)の4人の行方が分からなくなりました。
今月17日、現場から下流におよそ3キロの川岸の土砂の中から技能実習生の1人、グエン・ヒュー・トアンさんが遺体で見つかりました。
しかし、依然として3人の行方が分かっておらず、21日もトアンさんが見つかった現場周辺では、建設業団体のメンバーが重機を使って土砂を慎重に取り除くなどして捜索を行っていました。
捜索にあたった男性は「2週間、皆懸命に捜索にあたってきたので、振り返るとあっという間に感じた。まだ見つかっていない3人も一刻も早く見つけてあげたい」と話していました。
ベトナム人の2人は村で初めての技能実習生で、この春から働き始めたばかりでした。
関係者によりますと、今回土砂崩れに巻き込まれけがを負った建設会社の社長がみずからベトナムに足を運び、受け入れが決まったということです。
人口およそ2500人の椎葉村。
高齢化率が40%を超え、深刻な人手不足の山あいの村で、20代の2人の実習生は貴重な人材として期待されていました。
建設会社の従業員によりますと2人は素直で明るい性格で、覚えた日本語で元気よくあいさつをするなどコミュニケーションを取っていたといいます。
ほかの従業員の仕事ぶりを常に見ていて、見よう見まねで道具の使い方や作業手順を一生懸命覚えるなど仕事熱心で、どんどん仕事を覚えていたということです。
年配の従業員が重い物を運んでいればすぐに駆け寄って手伝ったり、休憩中に肩をもんだりするなどベテランの従業員が多い現場に溶け込み、子どもや孫のようにかわいがられていました。
従業員の1人は、2人の人柄が伝わるある場面を鮮明に覚えていました。
現場に向かう途中、毎朝のように立ち寄る自動販売機で、トアンさんが給料日前でお金がないと話していたにもかかわらず、「いつもごちそうしてもらっているから、きょうは僕が買います」とみんなのためにコーヒーを買おうとしたということで、「本当に心の優しい子だった」と涙ながらに振り返っていました。
また、従業員が寂しくないか尋ねても、2人は「大丈夫、大丈夫」と気丈にふるまい、「お父さんやお母さんと会いたくないか」と聞かれた際には、「お金をちゃんと貯めて帰ります。そして、ゆっくりお父さんとお母さんに会います」と話していたということです。
毎月の給料のほとんどをベトナムにいる家族に仕送りをしていて、周りが自分が使う分を残すよう助言をしても、できるだけ多く仕送りしたいと話していたといいます。
新型コロナウイルス対策の特別定額給付金の10万円を受け取ったときも、みずからは1円も使わず、全額をベトナムの家族に送っていたということです。
そんな2人を建設会社の社長や行方が分からない専務は家族のようにかわいがり、先月には8月生まれのトアンさんのために、建設会社の事務所で従業員たちと一緒にケーキでお祝いをしたということです。
この椎葉村には、「かてーり」という「相互扶助」や「結いの心」を意味する方言があり、ふるさとから遠く離れた山深い小さな村で、2人はまさにそのことばどおり、村の人たちに受け入れられ、暮らしていました。
技能実習生の2人は、ふだんは建設会社が2人のために建てた寮で暮らしていました。
当日の6日は、台風のあとの復旧作業に向けて待機していた専務の男性とともに会社の事務所で過ごしていて、土砂崩れに巻き込まれたとみられています。
2人は、寮がある地区の道路の清掃活動やミニバレーボールの練習に参加するなど、村に溶け込んでいたといいます。
地区の村民によりますと、2人は遠くからでも頭を下げていつも大きな声で、「おはようございます」や「お疲れさまです」などとあいさつをしていたということです。
また、通学中の子どもたちにも大きな声であいさつし、手を振る姿がよくみられたといいます。
片言でも一生懸命に日本語で話し、礼儀正しい2人は地区のお年寄りにとっては「アイドル」的な存在で、那須ヨシ子さんは「あの笑顔が忘れられません。片言でも一生懸命話してくれて、もうかわいくてたまりませんでした。ご家族も、日本に行って一生懸命働いて頑張っているという安心感もあったと思うとたまらないです。ロンさんも見つけてあげて、2人を早くふるさとの国に、そして両親の元に帰してあげたい」と無念な思いを語っていました。