もう、
あの凄惨な事故から2年経ったんですねぇ。
久々に
『上級国民』という言葉が
ネット上で飛び交っていたので
いったい何が起きたのか、
と調べてみたら。
あの、
池袋暴走老人……プリウスミサイル事故の裁判が、
昨日
行われていました。
上級ボケ老人・飯塚幸三被告(89)への
被告人質問の様子が
ニュースで取り上げられて。
その答弁が、
まあ、
なんというか
遺族と車メーカーをバカにした内容だったので。
ネット民が
大騒ぎしていたんですね。
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実際、
ここまでの
飯塚被告の主張をまとめた
通称『飯塚理論』なるものが世に出回っているのですけど。
これを見ると、
本当に酷い内容を喋っています。
ざっと
転写するとこんな具合です。
●プリウス経年劣化
↓
●電子部品の故障、ブレーキを踏むとかえって加速
※ブレーキランプと運転記録装置が『ブレーキ操作無し』と誤作動
↓
●操作不能、事故発生
↓
●事故の衝撃で故障部分が全部直る
↓
●事故の車体調査では異常は発見されない。
飯塚被告のこれまでの主張を
事故当時の時系列的に並べると、
こんな具合になります。
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なんかもうね、
これを大真面目に主張しているのだそうで。
さすがにそれは、
『ボケ老人』と揶揄されても仕方ないワ。
事象発生の確率論だけで言えば、
ゼロではありません。
ただし、
具体的な
どのくらいの発生確率なのか、と言えば。
偶然に偶然が重なる状況が設定されていますから。
1)車検時には
車体に故障は認められなかった車が。
走行中に突然故障した。
2)故障部分はアクセルとブレーキに関わるものだった
正常な操作を受け付けなくなった。
3)故障中の運転操作記録はいっさい残らない状況になった。
4)事故ですべて元に戻った。
記録装置も正常に記録されるように故障から回復した。
なので
暴走の瞬間だけ正しく記録されなかった。
すごいね、
4つも5つも偶然が重なって
車が勝手に暴走したために起きた事故で。
自分の運転操作に誤りは一切なかった、
という主張です。
原子力発電所に隕石が直撃、並の
偶然が起きて。
事故が発生したんです、と。
さすがにね、
こんな話を聞かされたら、
遺族は泣くに泣けませんよねぇ……
相手の正気を疑いたくなります、って。
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ただ、
客観的な事実を排除して。
飯塚被告の
主観的な世界の中では。
今回
語られた通りの認識だった、
と。
そのように解釈出来ますから。
当人の認識が
客観的事実と異なっているだけで。
必ずしも
嘘を吐いているわけでは
ないのかもしれません。
池袋暴走、飯塚被告「何か大きな物にぶつかった」…改めて無罪主張「私の認知機能に問題ない」
東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走して母子2人が死亡、通行人ら9人が重軽傷を負った事故で、自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)に問われた旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(89)の公判が27日、東京地裁であり、被告人質問が始まった。飯塚被告は「被害の大きさを聞いて心苦しく、つらい思いをしている」と述べた一方、「アクセルを踏んでいないのに車が加速した」と改めて無罪を主張した。 公判では、飯塚被告が事故現場の手前でアクセルとブレーキを踏み間違えたかどうかが争点になっている。 車いすで出廷した被告は、弁護側の質問に「ブレーキを踏みながら左折したところ、加速が始まった」と説明。その後もブレーキが利かずに加速が続き、パニックに陥ったとし、亡くなった松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子りこちゃん(同3歳)をはねた際の心境を「何か大きな物にぶつかってしまった」と振り返った。 検察側は「記憶違いではないか」と繰り返し尋ねたが、被告は「アクセルを踏んだ記憶は一切ない。私の認知機能に問題はない」と断言した。 弁護側と検察側の質問はこの日で終了。6月21日の次回公判で、真菜さんの夫の拓也さん(34)ら遺族による質問が行われる。 拓也さんは閉廷後の記者会見で、次回公判について「2人に『やれることはやった』と言えるよう、しっかり準備したい」と語った。事故から丸2年となった19日に現場の慰霊碑を訪れた時のことにも触れ、「献花台に多くの花が手向けられていた。心から感謝している」と涙声を絞り出した。
池袋暴走事故 遺族「今日が一番絶望」被告に憤り
東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走し2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の初めての被告人質問が27日、東京地裁で行われた。休廷を挟まず約2時間に及んだ被告人質問。車椅子で出廷した飯塚被告は、最後まではっきりした口調で質問に答え続けた。これまでの公判と同様にアクセルとブレーキの「踏み間違えはなかった」と主張するさまに、遺族は憤りを隠さなかった。
検察側の質問は、ドライブレコーダーの映像と飯塚被告の証言との食い違いに集中した。検察官は映像を基に「事故直前に計3回車線変更をしている」「『おー』という声を発したのは焦ったからではないか」などと矢継ぎ早に追及。飯塚被告は「覚えていない。映像を見ても、記憶は戻らなかった」と応じた。
一方、初公判に続き謝罪の言葉を口にする場面も。松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が亡くなったのを知ったのは事故当日の夜だったとし「大変なショックを受けた。2人のご冥福を祈る気持ちでいっぱいだった」と述べた。
被害者参加制度を使って裁判に臨んだ遺族からは、飯塚被告への怒りがにじんだ。
「悔しかった。むなしさが増した」。公判後に記者会見した真菜さんの夫、拓也さんは「真実を述べてくれるだろうと思って裁判に参加してきたのに荒唐無稽な主張をされ続けた。今日の裁判が一番絶望した」と力なく語った。
「無罪を主張するなら、簡単に『ご冥福をお祈りする』とか言ってほしくない」と声を震わせ、「アクセルを踏み間違えた記憶は一切ない」とする飯塚被告の主張について「あまりにひどい。そんな人に、妻と娘が命を奪われたなんて。返してほしい」と訴えた。
真菜さんの父、上原義教さん(63)も「私も立ち上がって殴ってやろうと思うくらい、悔しくて悲しかった。私は多くを願っていない。彼に事故と向き合い、反省してほしいだけだ」と、目頭を押さえた。