kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

まほろ駅前シリーズ観ました――

今日も映画を流しっぱでお仕事しているのですけども。
今日は、
邦画の『まほろ駅前多田便利軒』の1作目と2作目を観ました。
なんというか、
他の映画DVDを観てたときに、
予告編が流れているのを観て、気になったので。
この前、
ついでにレンタルしてきて、流してみたのですけども……


なかなか面白かったです。
シナリオは、まったりした感じで。
とくに派手な山とかオチとか無くて、
水曜どうでしょう』とか、
ああいう行き当たりばったりのロケ番組みたいな感じです。
淡々と日常送っているうちに、
大きなハプニングが起きて笑い転げる、とか。
ほろりと泣きたくなる、とか。
そんなテイスト……と言えましょうか。
重たいシリアスもなく、難解なストーリーもなく、
肩こらずに見ていられるので、
暇つぶしに持って来いですね。


あと、
ロケ地が『町田』なので。
というか、
数年前、町田の山崎団地に住んでいたときに、
映画のロケをしりきりに宣伝していたのを、
見掛けて覚えてましたので、
いつかは見てみよう、と思ったのもあるせいか、
ちょっと、
印象補正入っているかもしれません。
町田近辺に住んでいない人には、
退屈かもしれない画面でも、
知っている風景が画面に映ると、
『ああ、ここは●●の屋上だな』とか
『これ、あそこのお店の中だ』とか、
『このお店、もう潰れちゃったよね』とか、
また違った楽しみがありました。


とまあ、
そんな感じで映画を観ながら思ったのですが、
『邦画』というか、
『日本映画』って、
人間が歩くテンポでのスケール、というのかな。
歩く人間を中心に据えた画面でなら、
『空間の広がり』を見せることができるのですね。
人間の歩く速度程度なら、
カメラの移動が、ほとんどないですし、
レンズの向きは変わらず、1カットで撮せるので、
映像の中に『広さ』を埋め込むことができるのでしょうか。
でも、
ところが、
自転車とかバイクとか、車とか、
移動速度が人間の徒歩を越えてしまうと、
とたんに、
スクリーンの中の世界が狭くなってしまいます。
カメラが動いた途端に、奥行きが消えてしまうのです。
これはカット割りが悪いのではなくて、
『日本』という、
狭い土地のせいですね、
道が短い、
建物は小さく、ゴチャゴチャしている。
移動速度が大きくなると、
まっすぐに移動できないので、
『広がり』を感じさせるような、
スピード感溢れる連続アクションが出来ない。


日本を舞台にするなら、
『人間が歩く』というアクションが
日本映画キャパシティーの限界、
と言えるのかもしれません。


ところで、
まほろ駅前狂騒曲』を観た思ったのですけども。
シングルマザーの母親が仕事で出張にでる間、
子供を主人公達に預けるのですが……
預けた後、毎日子供に電話かけないのですかね?
洋画観ていると、
家族に頻繁に電話をかける場面が出てくるのですけども。
邦画、って。
そういう場面、少ないですよね。
この辺が、
欧米と日本の『家族観』の違いなのでしょうか、ねぇ……
あと、
銃器を持ってない無抵抗な犯人に対して、
警官が発砲したらダメでしょ。
普通に犯罪事案ですけど……
さすがに、
フィクションでもこれはないな。