kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

『サウルの息子』を観ました――

今日も仕事をしながら、映画を流しっぱなしです。
というわけで、
今日選んだタイトルは、『サウルの息子』です。
2015年に公開されたハンガリー映画です。
第二次世界大戦中の、
アウシュヴィッツ収容所を舞台にした人間ドラマです。


……なんというか、
選択というか、映画のチョイスを間違えました。
いや、
映画の内容がどうこう……ってわけじゃなくて。
ああぁ、でも、いちおう『内容』にも関係ある事ですけども。
なんというか、
この映画の内容は
第二次世界大戦中の、アウシュヴィッツ収容所を題材にした人間ドラマ、
ということで、
とにかく『ヘビー』です。
仕事中に流しっぱなしで観る映画じゃ、ありませんでした。
この映画は、
よくある、
『実話を基にした物語』ではありませんが、
事実の記録から着想を得て作ったフィクション、らしいです。
フィクションなんですけども……
とにかく『ヘビー』な内容です。


ストーリーは淡々としてます。
ネットなどで掲載されている作品紹介の欄に、
粗筋が書いてありますけども、
ほぼ、あれがすべてです。
それ以外に、
大した出来事は起きません。
本当に、
何も起きない、淡々とした物語です。
淡々とした物語なんですけども……
なんというか、
アウシュヴィッツ収容所の描写が強烈すぎて……。
戦争映画は沢山観てきましてけども、
これまで観た本数は、洋画、邦画あわせて、
多分100本はくだらないと思いますが、
これほど死体が沢山出てくる映画は初めて見ました。
とにかく、
山のように死体が映ります。
死体の山の連続です。
これは誇張表現ではなくて、
文字通り『死体が山積み』になります。
この映画、
特殊な演出手法をとっていて、
主人公主観視点、とでも表現したらよいでしょうか、
ネトゲーのFPSで画面中心に主人公プレイヤーを表示して周囲を映す、表現方法がありますけども、
だいたいあれと同じ、
おおよそ、
そういうカット割りを採用しています。
画面の中央に主人公が映り、
その向こうに、
周囲が映るのですけども、
そんな感じで、
アウシュビッツ収容所の中を、まるでダンジョン探索みたいに移動するのですが
この映像が、
主人公の手が届く範囲よりも離れた所は、すべてボヤけてます。
このボヤけている周囲が、クセもので……
映画が進行すると、
しばしば、
周囲が肌色一色に染まるのですよ。
人の背丈ほどのある肌色の塊みたいなものが、
ぼんやりと映る場面が何度も出てきます。
ボヤけていても、動いていると、
動きの様子でだいたい何だかわかるのですけども……人間が歩いている、とか、
観てて理解できるのですが、
背景の中に動かない物は、ボヤけたままではなんだかよく分かりません。
これ、
最初は本当になんだかよくわからなかったのですけども、
ある時、
主人公がそれに近づくと、ぼやけていた灰色の塊が、肌色の塊が、オレンジの塊が、
裸の人間になるわけです。
主人公が近づいたとたん、映像のピントがくっきりはっきりとして、
ぼやけた灰色の塊が、人間の形をした、裸の人間のパーツ、
『手』とか『脚』とか『胸』とか、として画面に映るわけですよ。
主人公とその同僚が、
裸の死体を両手で抱えて、
次々に積み重ねて、山にしていくんです。
その作業をするために、
主人公はアウシュビッツ収容所の中で働いている囚人なのですが、
そんな訳で、
主人公が移動する先には、
常に死体の山があります。
いろいろと死体を取り扱う場面が出てきます。
なんというか、


爆発する、とか、
切り刻む、とか、
血しぶきが飛び散る、とか、
そういう派手な映像はいっさい出てこないのですけども。
『人間』という存在に対して、いろいろと感覚が麻痺してしまう映像が
延々と続きます。


しかも、
劇中、主人公はほとんど喋りません。寡黙なキャラクターで、
黙々と作業に従事します。
その一方で、
主人公を取り巻く周囲では、
侃々諤々の喧噪、というか。阿鼻叫喚の地獄、というか。
怒号と悲鳴が飛び交って、
物凄い騒ぎになっているのですけども、
主人公は『我関せず』で黙々と作業というか、
自分の目的に集中して、会話らしい会話もほとんどありません。
これがまた……観てて気が変になります。
まさに、
『狂気の世界』としか言いようがありません。
私が、今生きている、この現代日本社会とは隔絶しすぎていて、
理解不能です。
軽々しく、どうこう言えるような、そういう物ではありません。
この映像が、
どこまでアウシュビッツ収容所の事実に基づいた内容なのか、
私は、ヨーロッパ戦史には大して詳しくないので、
パッと観て判断できない内容ばかりです。
ただ、
ここまで強烈な映像世界を作りたくなるような、
そういう事実が存在したのだ、という、
作り手の執念みたいなものは伝わってきます。


戦争映画が好きなので、選んだのですけども……
仕事中に観る映画ではありませんでした。
むしろ、
ここまで強烈な映像を見せられると、
映画の下敷きとなっている、記録文書の方に興味が出てきました。
……そういう映画でした。



追記:
とまあ、
あまりにも強烈な映画を観てしまったため、勢いで書き散らかしたのですけども。
なぜこんな映画を観ようと思ったのか……と。
それは『ホロコースト』に興味があったからです。
慰安婦問題で、
しばしば「日本が犯した『ホロコースト』だ」と。
そのように主張する声があるのですけども。
じゃあ、何がどう『ホロコースト』と同じなのか。
それをきちんと説明できる人はいません。
大量に強制連行したら『ホロコースト』なるのか?
(この『強制連行』という表現も、また日本軍がどの程度関わっていたか、
 それについて言葉のイメージと実態の乖離が大変ややこしい問題を孕んだ言葉のですけどもね。
 他に適当な表現がないのですよねぇ)
違うとしたら、違いはなんなのか。
私は『ホロコースト』については知識としていくらかは知っていますが、
その実態について実感が持てるほど、知悉していません。
それで、
実際になにが起きたのか、分かりやすく映像で観てみようと、
そう考えて、この『サウルの息子』を鑑賞したのですけども。
なんというか
私のような日本人が問題にしている『慰安婦問題』と
ホロコースト』は、
全く別物でした。
日本と韓国の間で議論されている慰安婦問題の実態については、
たとえば、
戦争犯罪」と言われる「捕虜虐待」……かつての日本軍は
アジアの広い地域でこの問題を起こしていたのですけども。
映画の題材にもたくさん使われています。
コリン・ファース主演の「レイルウェイ」などでもイギリス兵とかに対する
非人道的な過酷な扱いが描写されていますが、
慰安婦問題』ってだいたいこの程度なんですよね。
この程度、っていうのは、
今、私達、現代日本社会で理解できる延長の世界、常識の範囲内ってことです。
欲望を達成するためとか。
ストレスを解消するために。
集団の中で存在を維持するため。とか。
とにかく理由は色々あるでしょうけども、
『理由がある』ことが理解できます。
しかし、
ホロコースト』は……この映画で描かれているような世界は、
理解不能です。
少なくとも、この映画『サウルの息子』で描かれていた『ホロコースト』というのは、
『戦争がなぜなくらないのか』と同じレベルの『答えのない現実』でした。
果たして、一人の人間が命令を出しただけで、
ここまでのことが出来てしまうのかどうか、
その疑問が頭から消えないくらいに、
今の日本社会の価値観では、
なぜこんなことをするのか合理的な理由が見つけられません。
これは、
慰安婦問題』などと同列に扱ってよい問題ではありませんよ。
ホロコースト』は、そんな安直に答えが見つかるような、
そういう事件ではありません。