kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

いじめ問題を解決するための手段、その私案−−被害者を救済するために、行政が強制介入を行うべき

さて、週が替わって月曜日になり、
大津市のイジメ事件についても、ぼちぼち続報がでてきました……しかし、まあ、それよりもネットの匿名情報の方が、
遙かに早く拡散しているのですけどね。
どこまで真実なのかわからない情報が、ものすごい勢いで津々浦々に広がっています。
しかし、これは一時の熱狂によるものであって、人々の記憶から事件が薄れたら、
今回の当事者はなんの不自由もない、生活を取り戻すでしょう。
私は、現在の学校教育が「いじめ」を解決することが出来ない理由が、ここにあると思います。
今回の大津市の事件は、学校の先生がいじめを認定せず問題となりましたが、
では、「いじめ」を認定していたらどうなったでしょうか?
「いじめ」をやめなさい、と加害者の学生に注意を促し、
被害を受けている生徒が攻撃をされないように四六時中観察して、受けた被害のケアをする。
あとは、年次が切り替わったらクラス替えをして、生徒をできるだけ引き離す。
家庭訪問をして、親をまじえて面談する。
ざっと出来ることは、この程度です。
加害者である生徒の「いじめ」を強制的に排除することはできません。
「いじめ」の加害者の評価点をさげる、ということもできません。
ここに、「いじめ」問題が解決しない、大きな問題があると思います。
現状の教育制度では、「いじめ」の加害者は、そのことによって評価がさげられることが、ほとんどないのです。
このことは、大人の「いじめ」と決定的に異なります。
大人社会の「いじめ」では、問題が発覚した場合、当事者、つまり加害者そして傍観者の評価が著しく下げられ、
場合によっては社会的な制裁、ペナルティを受けたりします。
たとえば、
昨年の原発事故によって、福島に住んでいる人たちが放射能風評被害を受けました。
これについて、根拠のない風評を拡散する人間が特定されると、
目に余る被害が出た場合には、その人に対して賠償請求が発生し、ペナルティが化されるわけです。
理由もなく生産物の取り扱いを拒否する業者の行動が目に余る場合には、
行政が改善命令を出して強制的に問題を解決したりすることもあるわけです。
大人の社会の「いじめ」の場合には、社会的合意のもとで、
問題を解決するために行政による強制力が発揮されているのです。
しかし、現在の学校教育に代表される子供社会では、「教育」の美名のもとに、
子供にペナルティを化して子供の人間的評価を下げることを、行っていません。
警察に補導されるような事件となると、少年院送致になりますが、
「いじめ」では刑罰が問われる、ところまではいきません。
教師としてできることは内申書に事実を書くことくらいです。
しかし、これは子供の進路への影響が大きいとして、実行する教師はほとんどいません。
この事が、子供の心身形成を大きく歪める結果になっている、と思います。
何をしようと罪に問われることがない、のなら、好き勝手に他者に迷惑をかける人間が出てくるのも、当然です。
人間は、善意の塊ではありません。それは大人も子供もかわりません。
大人は、法律で縛られ、それぞれ属する集団の規律に縛られて、
悪意ある行動を制御し社会生活を成立させているわけです。
ならば、子供も同じようであれば、制御することが可能なはずです。
大人よりは判断力、理解力が未熟なために、いっそう慎重さが求められるとは思いますが。
大人社会で強制力が発揮されているように、子供社会においても行政による強制力が発揮されるべきです。
ただし、この強制力は学校の現場=文部省の教育行政には付与せず、
先にも書きましたが、文部省から独立した、第三者的立場のケースワーカーに与え、
彼らに、教育環境改善を勧告する権限、
たとえば、
いじめの加害者に履修必須単位として課外の社会奉仕活動を課す、
加害者を強制的に別のクラスへ移動させる、別の学区へ移動させる、などの権限を与え、
被害者救済と併せて、加害者への教育的配慮にのっとった、制裁を加える権限を与え、
子供社会における社会的正義の実現について、監督させたらどうか、と考えます。
ただし、ここで大事なのは教育行政にはこのような強制的な権限を持たせない、ことです。
教育現場の実務者である教育行政担当者がこのような権限を持ってしまうと、
子供達に対して、強制力を後ろ盾にした「恐怖教育」とも言うべき、指導を行う結果になりかねないからです。
教師と生徒の信頼関係の成立なんて、とても望めない、いまより地獄の学校になりますよ。
それでは本末転倒ですよね。