kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

ニュースになっていた…… ―― 徴用被害者の韓国人女性が死去 三菱重工に動員

韓国メディアが
そこそこのニュースとして
取り上げていたので。
ブックマークを付けてみました。



ちなみに、
この記事の中で
私的に気になっているのが
当時の事実を
現代の感覚で評価していて。
かなり酷い錯誤を起こしているなぁ。と感じたので。
まあ、
そこをちょっと指摘してみようと思った次第。
どこかというと、
亡くなられた女性が享年93歳だったそうで。
2023年で93歳なので。
1930年生まれですね。
それで、
ブックマークを付けた記事の中で
動員時の事がチョロチョロ書いてあるのですが、
それについては
情報の詳細が不明、事実かどうか真偽不明なので、
今回はスッ飛ばします。



で、
私的に気になった点として
年齢だけに焦点を当てて取り上げます。
1944年の工場労働に従事していた時点で、
おそらく14歳のハズです。
で、
戦前当時の明治憲法下では
成人年齢は20歳と規定されていたものの、
男性は17歳から
女性は15歳から、
結婚が認められていました。
これは
明治民法が許可している年齢で
戦前昭和だと
実際には
22歳とか23歳くらいで結婚している人が多かった、
という数字が残っています。
つまり
戦前社会では
結婚適齢期が22、23歳というのが社会の一般常識。
何が言いたいのか、
というと。
戦前社会では、
結婚適齢とされた22歳とか23歳が、
一家を構えられる一人前の成熟した大人、
という扱いです。
子供を養えるくらいの経済力を期待される年齢ですから。
令和の現代人の感覚で言うと。
30歳前後くらい……ですかね。
さらに
農村部など
比較的早い時期に自立を求められる場所では、
男性17歳、女性15歳で、
社会人一年生的な大人の仲間入りをするような。
そういう状況下で
親元を離れて一人立ちしている年齢です。
当時の
14歳は、
現代の感覚だと『こども』ですけど。
戦前当時の感覚では
来年には独り立ちしていることあり得る
凖大人でした。
なので、
戦前戦中当時の社会常識では、
14歳という年齢は……
『幼い子供』というイメージではありません。
家を構えるのには
まだまだ足りない点が多く、
一人前とは言えない年齢ですが、
社会に出てきたばかりの
社会人新入生くらい、の位置づけです。



戦前日本社会では義務教育を終了した段階で、
その先の
高等教育へ進学できるのは
経済的に恵まれた家の人間か、
もしくは
よほど優秀で抜きん出た才能、学力を買われて
進学を認められた人間のみで。
大多数は、
義務教育終了後、
社会人として労働の場へ出て、
大人の仲間入りをしていました。
『みなし社会人』という立場です。
この当時の社会風俗をスッ飛ばして、
現代的な
高校進学が一般化した感覚で
14歳という年齢を評価すると。
当時の実情を無視した
まったく違う世界の話になります。

 

 

jp.yna.co.kr

徴用被害者の韓国人女性が死去 三菱重工に動員

【光州聯合ニュース】日本による植民地時代の韓国人徴用被害者、キム・ジェリムさんが死去した。93歳だった。
 韓国市民団体「日帝強制動員市民の集まり」によると、キムさんは30日に亡くなった。
 キムさんは1944年3月に小学校を卒業後、同5月に三菱重工業の名古屋航空機製作所に動員された。日本人の募集担当者から「日本に行けば勉強できる」と勧誘されて日本に渡ったが、同製作所で部品を削ったり、塗装したりするなど1日中働かされた。終戦による植民地支配からの解放後に帰国。夫との結婚生活に大きな困難はなかったが徴用被害者を「慰安婦」と誤解する人が多かった。
 キムさんは生前、強制労働させられたときを振り返り、「なぜ幼い子たちにあんなことをしたのか、なぜ今まで謝罪の言葉が一切ないのか理解できない」と語っていた。
 キムさんは2014年2月に三菱重工業を相手取り提訴した損害賠償訴訟の原告4人のうちの1人。
 一・二審では同社に対し、原告1人当たり1億ウォン(約1100万円)から1億5000万ウォンの賠償を命じる判決が言い渡された。現在は大法院(最高裁)で係争中となっている。