kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

別に誰も自衛隊を嫌っていないと思うけど――】「軍人」の堵列を許さない国?

今日の気になるニュースは、いつもお世話になっている産経新聞から。



【宮家邦彦のWorld Watch】「軍人」の堵列を許さない国+(1/4ページ) - MSN産経ニュース 【宮家邦彦のWorld Watch】「軍人」の堵列を許さない国+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

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先週関東地方のある航空自衛隊基地を訪問した。20年来の旧友と昔の同僚に久しぶりで会えた。お互いちょっとどころか、かなり老けたかもしれないが、彼らの「国を守る気概」はちっとも変わっていなかった。
自然と話は自衛隊の国際平和協力活動になる。国際貢献といえばイラクサマワでの陸上自衛隊部隊を思い出す方も多いだろう。だが、航空自衛隊も1992年のカンボジアから、モザンビークルワンダアフガニスタン東ティモールイラクに至るまで海外で実にさまざまな任務を遂行してきている。
直近の例が本年1月の政府専用機アルジェリア派遣だ。同国で起きた人質事件の日本人犠牲者のご遺体を輸送したのは航空自衛隊特別航空輸送隊第701飛行隊所属の自衛隊機である。
この日本版エアフォース・ワンが羽田に到着した際、ちょっとした事件があったことを初めて聞いた。現場の航空自衛隊員が「堵列(とれつ)を組めなかった」ことをひどく悔しがっていたというのだ。堵列とは「多数の人間が垣のように横に並んで立つ」こと。一般には軍人や警察官が敬意を表し送迎する行為である。
 最初に「堵列」と聞いたときはよく意味が分からなかったが、詳しく聞いて状況を理解した。彼ら航空自衛隊員はアルジェリア事件の犠牲者のご遺体に敬意を表すため隊列を組もうとしたのだが、なぜかそれが認められなかったというのだ。筆者も政府専用機には何度か搭乗したことがある。当然ながら、パイロットはもちろん、整備士からいわゆる客室乗務員まですべて国際法上は「軍人」だ。今回彼らは航空自衛隊の任務としてアルジェリアに派遣された。その目的はイナメナスの地でテロの犠牲となった「企業戦士」たちを母国にお連れすることだ。彼ら自衛官が「軍人」としてこの「戦士」たちに最大限の敬意を払いたいと思うのは至極当然ではないか。
ところが航空自衛隊員の堵列は認められなかった。「制服」がテレビに映るのはやめてほしいとまで言われたそうだ。なぜ制服が映ってはいけないのか。わが国の国民が海外でテロの犠牲となり、国家が専用機を派遣して彼らを母国へお連れする。尊い犠牲者のご遺体に敬意を表することがなぜ認められないのか。何か特別な理由があったのかもしれないが、筆者には理解できない。
 先ほど航空自衛隊国際貢献活動は1992年から始まったと書いた。実はその1年前に幻の「自衛隊輸送機中東派遣計画」があったことはあまり知られていない。1991年1月、日本政府は湾岸戦争により生じた避難民を自衛隊機で輸送することを検討していた。当時外務省北米局にいた筆者は、その可能性を探るため航空自衛隊警察庁の関係者とともにエジプトとヨルダンに出張したのである。
「今回輸送対象は日本人ではなく戦争避難民だが、もし日本人が乗せてほしいと言ってきたらどうするのか」
航空自衛隊関係者がアンマンで筆者に真顔で尋ねた。
「そんなことはまず乗せてから考えましょう」
筆者は躊躇(ちゅうちょ)なくこう答えた。一国の軍隊がその国民を守るのは当たり前だ。しかし、なぜか日本だけはその例外らしく多くの国民も自衛隊の活動にあまり関心がない。
東日本大震災の際の自衛隊員の活躍は立派だった。「初めて自衛隊は国民を助けてくれるかもしれないと思った」とも言われたそうだ。しかし、大震災の翌年、航空自衛隊の志願者は逆に減った。「自分の子供にはあんな危険なことはさせたくない」からだという。そうであれば、そんな危険なことをする人々に対し、もっと関心と敬意を払ってほしいものだ。

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『堵列』という、あまり聞き慣れない言葉が出てきているので、本文も載せてます。
さて、気になる内容の方ですが、ひっかかったのは前段の部分。
今年の1月アルジェリアの資源プラントで起きたテロ事件で犠牲になった日本人を国まで送り届けたときに、空港で自衛隊員が犠牲者のご遺体を『堵列』で迎えることが許されなかったことについて。
どこかの誰かが圧力をかけて、自衛隊員を不当に遠ざけたような書き方をしています。
それが、自衛隊に対する日本人の『軍国アレルギー』の象徴のように書かれているのですが。
私は、それこそが自衛隊への偏見そのものではないか――と思えるのですよ。

『堵列』という、あるいみ象徴的な行為が許されなかったのは、犠牲者の方が民間人だったから、ではないでしょうか。
だから、『国葬』扱いにも近いような印象を与えてしまう行動には、他の犠牲者との兼ね合いもあって、待ったがかかったのだと思います。
これが、公務員の殉職であれば、何も問題なく許されたでしょう。
しかし、政府と直接関係ない民間人に対して、自衛隊員=日本政府の関係者が必要以上に敬意を表敬するのは、民間人に対して政府との関係を強調する結果になってしまいます。
その場合には、これ以降海外で活動する企業戦士は日本政府のイデオロギーに強く縛られることになってしまうでしょう。
政治と経済は別物――などという建前論は通用しなくなり。日本政府を標的としたテロの対象として、海外で経済活動に励む日本人が狙われるリスクも跳ね上がるでしょう。
そして、民間人にテロの犠牲者が出るたびに、国葬に近い扱いでもてなされなければ、差別を感じる遺族も出てくるでしょう。

自衛隊員の『堵列』に待ったをかけた人は、自衛隊に対して何か含むものがあったのではなく、
上記のような公平性の担保や、民間人に政治的なイデオロギーを印象づけしてしまうリスクを恐れて、避けたのだと思います。

むしろ、このような事件に対して、自衛隊に何かしら含みがあるようにしか見えない視点こそ、自衛隊への偏見を広める結果になっているのではないか、と思う次第です。